夕轟

 そわそわする。なんだか落ち着かない。キーボードを操作する手もさっきからミス連発で、いつもより作業ペースが明らかに遅いのが自分でもわかる。

『あ、きた』
 視界の端でぴかぴかと小さな光が点滅したのを捉えて、セルフィは携帯電話を手に取った。
「セフィ、あと1時間くらいで着くからね〜。ちゃんと言ったよ〜」
「え、あ、アービン、あたしちょっと、まっ…」
「あっ、呼ばれてるから、また後でね〜」
「ちょっ、ちょっと、待ってアービン! あたし、まだ仕事ちゅ…う……」
 セルフィが言い終わらないうちにプツッと通話が切れた。
「もう、アービンってば〜」
 一方的に終了してしまった携帯電話にむかって軽くグチると、セルフィは椅子にぐっともたれるようにして壁にかけてある時計を見た。
「あと1時間て、このペースやと間に合わんやん。急がんと!」
 力の抜けた身体に渇を入れ直しコンピュータに向かう。
「ただいま〜」
「セルフィごめんね、ひとりにしちゃって、どんな感じ?」
 セルフィが気合いを入れ直したところで、同室で仕事をしていた先輩SeeDたちが戻ってきた。
「お疲れさまで〜す。こっちは、もうちょっとかかる感じですねぇ。そっちはなんでした?」
「それがねぇ〜。緊急だって呼ばれたのに」
 セルフィの右側に、気が抜けたような息を吐いて先輩の一人が座る。
「ただのケンカでその仲裁をしろって。SeeDの私たちを何だと思ってるんだろうね、あの教授。あ、セルフィさ〜すが、早いね」
 もう一人の先輩SeeDは愚痴を言いながらも、いつの間にかセルフィの左側に座り、プリントアウトされた紙の束をチェックをしていた。
「あ、セルフィ待って、今のミスってる」
 今ぐったりとイスにもたれて脱力していたと思われていた右側の先輩が、パッと身体を起こしセルフィが作業をしているモニターをのぞき込んできた。
「ホントだ。あちゃ〜、すみません」
 確認すると直前に打ち込んだ文字列の中に、普段あまりしないようなミスをセルフィ自身も3つほど見つけてしまった。それで少しばかり浮ついているというか、早く仕事を終わらせようと焦っている気持ちからのミスだと気がつく。
「謝ることじゃないよ。誰にでもあるレベルだから。それにそのチェックをするのが私の仕事だもん。ノーミスだとつまらないわよ」
 プリントアウトされた紙をチェックしていた先輩は、そう言ってセルフィを見てふわっと笑う。
「この分なら1時間もあれば終わるね、もうちょっとだ。がんばろ〜、セルフィ」
「がんばろ〜、セルフィ。て私は単独の仕事だけどね」
「はい、みんなでがんばりましょー、先輩たち」
 声がシンクロする二人の先輩たちにつられるようにセルフィは応えると、声だけでなく動作もよく似ているんだなあと小さく笑みを零して、再び仕事に戻った。
 一人より二人、二人より三人だと実に仕事がスイスイ進んだ。さすがキスティスが太鼓判を押す先輩たちだとセルフィは思う。キスティスやシュウと同期のこの先輩たちはまた、キスティスやシュウたちと同じくらい一目置かれていた。SeeDとして優秀なのもさることながら、美人双子のSeeDということでも。そのせいか二人の連携プレーは見事で、更に性格がさっぱりしていて気さくなこともあって、一緒に仕事をするのが好きな先輩たちでもあった。
「こっちは終わったよ〜」
「これで最後で〜す」
 右側の先輩がそう言った後、セルフィも最後のキーを打ち終えた。気持ちを切り替えて集中出来たせいか、さすが先輩たちと言うべきか、彼女たちが予測した1時間よりも早めにケリがついた。
「了解」
 最後にプリントアウトされた紙をプリンターから抜き取ると、素早く先輩がチェックしていく。
「オッケイ、じゃファイルよろしく」
 そう言ってセルフィの左側にいる先輩が最後のチェックを終えて振り返ると、右側にいた先輩がもうファイルを持って傍に立っていた。
「ねぇ、今日ミス・モーグリに行かない? セルフィも一緒にどう?」
 綴じたファイルを所定の棚に戻している先輩が言う。
「いいよ〜、丁度そろそろ行きたいと思ってたし。ね、セルフィも一緒に行こう」
 左隣に座っている先輩がくるんとセルフィの方に向きを変えた。
「行きたいです! あ……って、今日はちょっとムリでした」
 今まで操作していたコンピュータの電源を落とすと、セルフィも先輩の方にイスの向きを変え、甘い物好きの彼女は即答……のはずだったが、思い出した。今からアーヴァインの出迎えに行く予定だったことを。
「え〜、残念。なにか用事とか先約アリ?」
 ファイルの棚からセルフィたちの方に歩いてきている先輩の顔が残念そうに曇る。
「え〜っと、用事というか……」
「ん〜、それは聞くだけヤボかもよ〜」
「あ、そっか!」
 双子の姉妹はセルフィの言いよどむ姿になにかを感じたのか、顔を見合わせるとクスッと笑い合った。セルフィにはそれがどういう意味か検討がつかずにいると、それを問うより先に先輩の口が開いた。
「アーヴァイン、確か今日任務から帰ってくるんだよね〜」
「ね〜」
「な、なんで、それをっ」
「そりゃあ、セルフィの顔を見ればわかるわよ。そっか〜、彼氏の方が大事だよね〜」
「ね〜、大好きな相手だもんね〜」
「だから、なんでそーいうこ、っとに…」
「照れなくていいんだってば〜」
「恋人なんだから、当たり前だ、って言っちゃえばいいのよ、セルフィ」
「あぅっ……」
 いつの間にかセルフィの左側に座っていた先輩も立ち上がっていた。先輩たち二人が並んで立つと本当にどっちがどっちか区別のつかなくて戸惑う。それが余計に拍車をかけるように、流れるように言葉が出てくる姉妹とは逆に、セルフィは言葉に詰まりしどろもどろになり、頬は恥ずかしさでか〜っと熱を帯びていく。
 目の前のキラキラとした曇りのない二組の瞳に、セルフィは心の中で溜息をついた。先輩たちに悪気はない。それはわかる。キスティスとも仲がよいせいもあってか、キスティス同様にこの先輩たちもセルフィのことを可愛がってくれている。それは嬉しい。けれど、ただ可愛がってくれるだけではなく、アーヴァイン絡みになるとこうやって楽しくからかわれてしまうことがある。先輩たちのことは好きだが、こういうやり取りは苦手なのだ。
 セルフィは会話の機転は悪い方ではない。けれど、今まで『恋人』なんて関係は体験したことがなく、そこに触れられるとなぜかテンパッてしまって上手く切り抜けられないでいる。それもからかわれる一因なんだろうとは思う。
 だから、
「それでは先輩方お疲れ様でした。お先に失礼します!」
 手短にそれだけ言うと、セルフィは脱兎の如く退室した。あのままあそこに居続けたら、もうすぐアーヴァインに会えるという逸る気持ちで仕事をしていたことまでバレてしまいそうだった。既にバレていた為にからかわれた、という可能性の方が高いような気がしたけれど。それなら尚のこと早くあの場は離れた方がいい。
 ドアが閉まる間際、空気音に混じって「おつかれ」というねぎらいの言葉と、「セルフィかわいい〜」という声が聞こえたような気がしたが、それを振り切るように、着替えるのと気持ちを切り替えるためセルフィは寮の自室へと走った。


 夕刻も、もう夜に近い時間。
 この時期は太陽が出ている時間が長く外はまだ明るい。顔を上に向けると、そこには涼しげな水色と淡いピンクと美味しそうなオレンジ色とが競演するように視界を埋め尽くす勢いで広がっていた。
 セルフィはそんな気持ちのよい景色を眺めながら、一度くーんと背伸びをした。
 予定ではもっと時間がかかるだろうと思っていた作業が、思ったより早く終わった。それは先輩たちの手際の良さもあったけれど、自分もがんばったのだ。早くアーヴァインに会いたくて、ちゃんと出迎えたくて。
「こ、恋人やもん」
 自分に言い聞かせるように呟くと、胸の中をむず痒いような、甘酸っぱいような感覚が湧き上がってくる。今まの自分には馴染みのない、どこか気恥ずかしい、けれど嫌な感じはなく――――。
 そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にかカードリーダー近くまで来ていた。
 今日は珍しく駐車場ではなく、アーヴァインは正面ゲートから帰ってくるということなのだ。
「やっぱり外は気持ちいいね〜」
 時折そよぐ夕風が、さらりとした柔らかい絹で肌を撫でるように吹いていく。
 カードリーダーを通り正面ゲートまで来るとぐるっと一回り辺りを見回す。だが、まだアーヴァインの姿は見あたらず、彼を乗せた送迎車はまだらしいことに安堵する。
 時折「さようなら」と挨拶をして通り過ぎる生徒や職員に、こちらからも挨拶を返しアーヴァインの到着を待っていると、5分も経たないうちに一台の車がセルフィの近くですっと停車した。ガーデンの車ではない一般の車だ。セルフィはチラッとその車を一度見たがアーヴァインが乗って帰る車ではないので、すぐに彼が帰ってくる方向へと視線を変える。
「セフィ、ただいま〜」
「え、アービン?」
 声のした方にパッと向けば、目の前に停車した車から降り来たのは紛れもなくアーヴァインだった。
「ありがとうございました〜」
 運転手に向かってアーヴァインが軽くおじぎをした時、頭を動かした運転手の顔が見えてセルフィはなぜ彼がこの車で帰って来たのかを知った。セルフィも知っている銃担当の教官だった。おそらくついでだからと乗せてもらったのだろう。だから正面ゲートだったのだと理解した。
「セフィ〜、僕はこっち」
「あ、ごめん。おかえりアービン。任務お疲れ、っふごごっ!」
 去っていく教官の車を見送る暇もなく、気がつけばセルフィはアーヴァインに身体を彼の方に向けられ、そのままぎゅ〜っと抱きしめられていた。
『うわぁぁ』
 セルフィはいきなり抱きしめられて慌てた。けれど、これはアーヴァインお決まりの任務帰りにはいつもするハグだ。もっと言うなら、こういう挨拶のハグは物心つく頃から、家族や親しい友人となら当たり前にやってきた。もちろんアーヴァインとも。けれど、今は以前とは違う。友だちだった頃とは違う感情をアーヴァインに抱く今は、挨拶のハグでさえドキドキし、気恥ずかしさを感じてしまう。特にこんな人前だと。
「セフィ、ただいまのキス…」
「ええっ、アカンッ。ここではダメ、アービン!」
 腕がゆるんだかと思えば、間近に見えたアーヴァインの顔を、セルフィはぐいと押さえた。
「セルフィそんな邪険にしちゃダメよ」
「アーヴァインが可哀相よ〜っ」
 少し離れた所から、同じ声の二つのセリフが重なるように聞こえ、セルフィはハッとした。見れば予想通り双子の先輩たちが、こちらを見てくすくす笑っている。
「そうだよ、セフィ。挨拶の頬にキスもダメなんてひどいよ〜」
「え、頬……に?」
 頬にキスだと言われてセルフィは、その頬に熱風が駆け抜けていくのを感じた。唇へのキスではなかったのか。勘違いしていたことがわかると、それが恥ずかしくて、アーヴァインからも先輩たちからも、心の内を隠すように俯く。そのままどうしたらいいかわからずじっとしていると、ためらいがちな先輩たちの声がした。
「セルフィ、怒ってる?」
「セルフィの反応が可愛くてつい、からかっちゃってゴメンね」
 動かないセルフィを怒っていると思ったのか、双子の先輩たちがさっきとは変わって、やりすぎちゃったかなというような顔をしてセルフィを見ていた。
 確かに先輩たちには今もさっきもからかわれたけれど、それを怒ったりはしていなかった。自分の早とちりっぷりが恥ずかしくて俯いていただけなのだ。
「怒ってないです」
 セルフィは小さく首を横に振ってそう答えた。
「よかった〜。じゃ、さっきの本当に今度一緒に行こうね」
「一緒に行こうね」
「先輩のおごりならいいですよ〜」
 仕返しの意味もこめて、セルフィは顔を上げいつもの調子で言う。彼女の怒ってはいない様子にホッとしたのか先輩たちは揃って柔らかな笑顔になり、二人同時にポンと胸を叩き「「まかせてっ」」とこれまた見事なハモりを見せてくれた。
「じゃ、また明日ねっ」
「じゃ、また明日ねっ」
「はぁ〜い、さようなら〜」
 手を振り去っていく先輩たちをセルフィも笑顔で手を振った。
 先輩たちの後ろ姿を見送りながらセルフィは、ミス・モーグリにたくさん存在する好きデザートの中から何を食べようかな〜と思いを巡らせ始める。美味しいデザートの前には、ゲンキンな乙女心はすっかりにそっちにさらわれてしまっていた。
「どこに一緒にいくの〜?」
 と、横から聞こえた声に、セルフィの頭の中いっぱいに広がっていた美味しそうなデザート類が一斉に吹き飛んだ。今の先輩たちのやり取りで、すっかりアーヴァインの存在を忘れていた。あれほど、彼が帰ってくるのを、会えるのをドキドキソワソワしながら待っていたのに……。
 セルフィはちょっと前に交わしたアーヴァインとのやり取りを思い出すと、意を決するように一呼吸して、くるんと彼の方に向きアーヴァインを見上げた。
 ついっとかかとを上げ、つま先立ちになる。
「…ん?」
 不思議そうな顔をしたアーヴァインの頭を引き寄せると頬にキスをした。
 するとセルフィの予想通り、アーヴァインは目をパチパチさせてぽか〜んとしている。自分から望んだ「おかえりのキス」なのにわかっていない様子なのが、セルフィはなんだか可笑しくて、そしてアーヴァインがカワイく見えた。
「それはねぇ〜、ん〜と、歩きながら話すよ。雨が降って来そうだから早くガーデンにはいろ」
「……うん。そうだね」
 つい今し方まで鮮やかな夕焼けを描いていた空が、海の方から駆け足で曇ってきていた。
 セルフィがガーデンに入ることを促すと、アーヴァインは嬉しそうに破顔して、もう歩き始めている彼女の手を慌てて握った。


「そうだ、セフィ。セフィの好きなウエスタカクタスのゼリー買ってきたよ〜」
「うわ〜、ありがとうアービン。好き、好き!」
「その好きは僕のこと? それともゼリーの方〜?」
 主語のない『好き』を聞き逃さず、アーヴァインは容赦なくセルフィに鋭い問いを投げかけた。それを聞いてセルフィはしまったと思ったが、ちゃんと答えないとどっちも逃してしまう、とも感じた。
「どっちもに決まってるやん!」
「え〜、僕はウエスタカクタスと同じ〜? ねぇ、どっちが上?」
 答えが不満だったのか、アーヴァインは握っているセルフィの手をくいっと引いた。とん、セルフィは軽くアーヴァインの胸にぶつかるような形になる。
 収まっていたドキドキが再びセルフィを襲った。
「なっ、なんでそんなこと言わんとアカンの!」
「言ってくれないと離さないよ〜〜」
『うわぁぁ〜〜』
 いつの間にやらアーヴァインの腕で抱え込むようにされていて、セルフィはドキドキどころか軽くパニックになる。さっきの挨拶のハグとは、ちょっと様相が違うから。
 アーヴァインのことはよく知っているが、こんなアーヴァインをセルフィは知らない。『仲間』の時には、知り得なかった一面。『恋人』としての一面。こんな甘い場面に直面する度に、嬉しい気持ちよりもどうしたらいいか判らなくて軽くパニックになってしまう。
「言う、言うから離して〜」
 そう言うと、やっとセルフィはアーヴァインの腕から解放された。
「言うけど、ひ、人のいてないとこでっ!」
 カードリーダーを過ぎたこの辺りは人の往来が多い。特に今は多くの人が仕事を終えた時間帯だ。
「ええ〜〜、ここでもいいじゃない〜〜、セフィ〜」
 アーヴァインは人目を気にすることなく「好きだよ〜」といつも言ってくれるが、セルフィは大いに気にする。
 聞こえないフリを決め込みセルフィは、抵抗するように足の鈍ったくっそ重いアーヴァインを引っ張るようにして歩き始めた。しばらく歩いていると諦めたのか、いやいや歩いていたアーヴァインの歩調が通常に戻る。それを感じてセルフィはホッとした。
 さっきの答えを言うまでアーヴァインは引き下がらないだろう。けれど、二人きりなら何とかなる、多分。


 手を繋いで歩く二人の、遥か後ろの方で雷鳴が瞬いた。
 からかわれるのは恥ずかしいけれど、大好きな人にもうすぐ会えると思うと、ドキドキソワソワして落ち着くことなんか出来ない。
 早く会いたいのに、ほんの少しの時間がとてもゆっくり流れているようで、そのクセとても心の中が騒がしくて落ち着くことなんか出来ない。

 そして待ち人に会えた今も、セルフィの胸の中の小さな轟は鳴り止まず、まだ当分落ち着くことは出来そうになかった。


セルフィ誕生日おめー!!
間に合ってない上、ひたすらセルフィがアーを好きという、誕生日に関係ない内容だけど、おめーー!! 気持ちはがっつりセルフィの誕生日祝いです。

【夕轟(ゆうとどろき)】 恋心などで夕方胸がさわぐこと。また、夕方近く、物音が騒がしく聞こえること。
(2011.07.17)

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