射程、ゼロ距離

 セルフィはガーデンの中を走っていた。
「アーヴァインが荒れている、責任取れ」
「はあ?」
 スコールから直接電話がかかってきたかと思ったらそう言われて、こっちからはロクに質問も出来ないまま、強引に呼びつけられた。
「アービンが荒れてるってだけで、なんであたし〜?」
 セルフィは納得がいかなかった。だが、スコールの口調は逆らえるような雰囲気でもなければ、呼びつけられたのがイヤという訳でもなかった。
 多分、それは他ならぬアーヴァインのことだったから――――。


「って、うっわ〜。ホントに荒れてるねぇ〜」
 スコールに呼ばれた部屋のドアを開けて、その惨状にセルフィはあんぐりとなった。
「全く、SeeDのメンツも何もあったもんじゃない」
 ひさしぶりに見る、額を指で押さえて溜息をつくスコールに、セルフィはものすご〜く同意した。

 室内に転がる累々たる屍、もとい、酔いつぶれたヤロー共と酒ビン。
 全員、セルフィの見知っているSeeDたちだ。
 とてもじゃないが、他のガーデン関係者には見せられない。見せたくない。いや、知られたくない。ガーデン憧れの象徴SeeDのこんなダメダメな姿は。
 この中にスコールが入っていなくて良かった。そこはさすがと褒めるべきか、とセルフィはぶっ倒れたヤロー共の中に混ざっているゼルとアーヴァインを見て思った。
「誰かがこっそり持ち込んだ酒と愚痴でこんなことになってしまったらしい」
 簡潔に説明をした後、スコールは心底呆れたようにまた溜息をついた。
「……SeeDってキッツイからね〜。愚痴も言いたくなるよね〜」
 男のプライドを傷つけないように、セルフィは慎重に言葉を選んだ、つもりだった。
「…………」
 けれど、眉間の皺を深くして物言いたげな顔でスコールはセルフィを見たが、彼女はその視線にも意味にも気がつかなかった。
「わり〜な、セルフィ。俺が連れて帰ってやれればいいんだが、この有り様で」
 屍の中からサイファーの声がした。その方を見れば、赤い顔をしてばつが悪そうに、椅子にもたれているんだかテーブルにもたれているんだか分からない座り方をしたサイファーが、へろへろと力なく手を振っていた。そして這うようにしてアーヴァインに近づき「おい、アーヴァイン起きろ」と彼の頭を小突いた。
 サイファーに頭を小突かれたアーヴァインは、幸いにも完全に寝入ってはいなかったようで、ノロノロとした動作で身体を起こそうとしていた。
「悪いがこんな状態なんで、寮まで頼む」
 隣でそう言ったスコールに、セルフィは「わかった」と短く答えて、アーヴァインの横に膝を付いた。
「立てる?」
「ん〜、立てるよ〜。あ〜、セフィだ〜。って、なんでセフィがいるの〜? 僕夢見てる〜?」
「そうかもね〜」
 セルフィはアーヴァインに合わせて返事をした後、片方の腕を引っ張って肩にかけ、反対側の手を腰に回した。
「どこ行くの〜?」
 引き受けはしたものの、身長差がありすぎて、大きなアーヴァインを支えきれるのかどうかセルフィは自信がなかったが、彼はちゃんと足を動かしてくれてホッとした。
「寮に帰るよ」
「ん〜、わかった」
 それでも足元がおぼつかない位には酔っていて、寮に帰るってことも解っているのかな〜と思いながら、セルフィはスコールに「頑張ってね」と挨拶をしてアーヴァインを引き取った。
「なにを頑張るの〜?」
「アービンたちの後始末」
「僕たちなんか悪いことした〜?」
 常夜灯の細い明かりの灯る通路を、よたよたと歩きながらアーヴァインはよく喋った。
「したんじゃないの〜」
「え〜、僕悪いことなんてしてないよ〜。セフィの方が悪いことしてるよ〜」
「どうして、あたしなん」
 何故ここで自分が悪者になるのかセルフィはさっぱり分からなかった。
「だってさ〜」
 そこで言葉を切ってアーヴァインは急に黙り込む。
 アルコールの臭いと、重くなった足取りと、悪者呼ばわりされたことに、セルフィはすこし嫌気が差した。
「だって何?」
「セフィはいつも僕を邪険にするし、放ったらかしじゃないか〜。それって彼氏の僕に悪いことしてるよね〜?」
 ああ、だから荒れていたのか。理由は判ったけれど、自分の態度が招いたことなのも解ったけれど、でも――。
「あ〜、はいはい。あたしが悪いね〜」
 セルフィは気持ちを押し込めて軽く流した。酔いどれているアーヴァインにきちんとした理由を言っても、理解してくれなさそうだと思ったのだ。
「だよね〜、セフィが悪いよね〜。だからね〜、今度僕の言うこときいて……」
 アーヴァインの言葉はまた途切れてしまった。
 セルフィはもう続きを促すことはせず、アーヴァインを引き摺るようにして歩いた。すっかり静かになってしまって、眠ったのかなと思ったけれど、彼はちゃんと足を動かしていてかろうじて起きているようだった。
 やがて、短いような長いような道行きの終着点に着いた。
「着いたよ。アービン、カードキー出して」
「ん〜、ん〜、どこだっけ」
 シャツやジーンズのポケットをごそごそと探すがなかなか見つからない。そろそろ自分もアーヴァインのシャツのポケットに手を突っ込んでみようかと思った時「あった」と、ジーンズの後ろ側のポケットからカードが出てきた。

「アービン、もうちょっとだから、ちゃんと歩いて」
「ん〜、歩いてるよ〜」
 ベッドルームのドアに向かう途中、クタッと足が崩れかけたアーヴァインを引っ張り上げるように支える。それでなんとか立ち直ってくれたので良かったものの、ここでパタンと倒れられたら、もうお手上げだ。自分一人の力ではアーヴァインをベッドまで運ぶなんてことは絶対に無理。逆は軽々と出来るんだろうけど……。いやいやいや、そうじゃなくて早くアーヴァインをベッドに運んでしまわないと、本当にここでぶっ倒れられたら困る。セルフィは変な方向に行きかけた思考を慌てて軌道修正し、アーヴァインを運ぶことに集中した。

「アービン、ほらベッドだよ。ちゃんと――」
「なんで〜?」
「なんでじゃない、わ、わわっ!」
 ベッドルームの明かりをつけて、訳の分からないことを言うアーヴァインをさっさとベッドに転がしてしまおうとベッドまであと一歩の所まで来た時、アーヴァインの足がもつれて、更にセルフィがそれが蹴躓く形になって、二人一緒にベッドに倒れ込んでしまった。
「うわっ!」
 重かった。
「……セフィ」
 上から聞こえた声を頼りに確認すると、アーヴァインの上半身がセルフィの上に斜めに重なるようにして乗っているらしかった。
『うわ〜ん、これはマズ〜イ』
 セルフィはアーヴァインの下から這い出ようと必死にもがいた。
「セフィって、柔らか〜い」
 けれどアーヴァインはセルフィを抱きしめてきて、身動きが取れない。
「ちょっ、ア、アービン、離して……」
 セルフィはアーヴァインの腕を解こうと、ぎゅ〜っとアーヴァインを押した。

 アーヴァインにのし掛かられ、さらに抱きしめられるとか、ものすご〜く危険なニオイがする。
 けれどアーヴァインの腕はびくともしない。それどころか振り解こうとしたことに反発するように、より力を込められてしまった。
「いやだよ〜、セフィは抱きしめると柔らかくて気持ちいいのに〜。こんなの夢の中じゃないと出来ないんだから、我慢して〜」
 抱きしめている相手の嬉しそうなのほほ〜んとした声とは裏腹に、首筋辺りにアーヴァインの熱い息まで触れてしまって、セルフィの心臓が大変なことになった。
 ベッドの上で抱きしめられるなんてシチュエーションは初めてだ。しかも相手は大好きで、たまにだけど手を繋いだり、ハグをされたりってことにさえドキドキしてしまうことがある。なんてこと、アーヴァインは知らないんだろうけど。
 恋人になる前は平気だったのに、それが今はみんなの前だったりしたら、照れくさくて恥ずかしくて、心臓がきゅうう〜ってなるくらい嬉しくて、でもやっばり恥ずかしさの方が先に立って、だから……つい邪険にしてしまうのだ。
 それに鍛えられたアーヴァインの身体はとても――――。
「まだ抱いちゃダメなのかな〜。僕じゃダメ、なのかな〜」
「うええ〜、何言ってんのアービン!」
 突然の爆弾発言にセルフィは思わず声を張り上げてしまった。慌てて両手で口を塞ぐ。なんてことを口走るのかこの男は。もう本当に心臓がもたない。
『まさか、起きてたりしないよね』
 セルフィはそろ〜っと、横にあるアーヴァインの顔を見た。
 悲しげで切なげな表情。それに胸がちくんとする。そしてやっぱり青紫色の瞳は隠されたままなことに、淋しさを感じた。

 セルフィはアーヴァインをじっと見つめた。
 夢現の間を彷徨うアーヴァイン。漂うアルコールのニオイ。
 今言った科白なんか、明日起きればきっと忘れているんだろう。
 そして何でもない一日を送るのだ。
 朝食が一緒に食べられるかどうかメールが来て、ランチを食べようとキスティスの職務室に誘いに来て、すこしヒマになった3時頃「ちょっと休憩しなよ〜」と話をしに来て、職務が終わったら迎えに来る。
 夕食を食べて、消灯まで他愛のない話とかで時を過ごして、「また明日ね」とおやすみのキスをして別れるのだ。
 それが自分たちのありふれた一日の一例。
 シアワセなのだ、それで。大好きな人と一緒にいられてシアワセ。

 これ以上何を望む――?
 口に出して言われたことはないけれど、少なくともアーヴァインはもっと望みがあるのがさっきのではっきりと分かった。

 自分はないの――?
 気づかないようにしていたけど、今アーヴァインに抱きしめられて、あの言葉を聞いた今は、この心臓のドキドキの意味を確信させられた。
 こうやって抱きしめられて、アーヴァインの体温を身近に感じると、身体の芯がじぃんと熱くなる。二人きりでいて抱きしめられると、頭がぼ〜っとして、そのままアーヴァインに身を任せてしまいたくなる。

「やっぱダメだよね〜」
 夢の中の自分は拒否したのか、そう言ってアーヴァインは悲しそうに笑った。
「ダメじゃないよ、アービン」
 唇同士が触れそうなほど近く、自分でも知らない囁くような甘めの声で告げる。
「ホント、に……じゃ、キス……して……」
 目を閉じたまま嬉しそうに微笑んだアーヴァインに、セルフィは彼の望みどおり唇を重ねた。
「…んっ……」
 アーヴァインはすこし上体起し、セルフィを抱きしめていた片方の手を移動させて頬をしっかりと捉えた。唇は彼女を「もっと」とねだるような動きに、セルフィは拒むことなくアーヴァインを受け入れた。忍び込んできた柔らかな舌に自分の方からも応える。アルコールの臭いさえなければ、溶け入りそうなほどに甘やかな口づけ。抱きしめていた手はセルフィの存在を確かめるように身体を服の上から撫でて、その度にセルフィの体内をビリビリと小さな電流が駆け抜けた。
 アルコールの臭気に当てられたのか、それともアーヴァインに酔っているのかは分からないけれど、セルフィは引き込まれるような心地よさを感じていた。
「セフィ」
 合わせた唇の奥でくぐもった声が聞こえた時、すべてがフッと止まった。
 力が抜け重くなった身体の下からセルフィが抜け出てアーヴァインを見ると、口づけを交わしていた唇から溢れるのは、つい今まで感じていた熱い吐息ではなく、穏やかな規則正しい息になっていた。
 もうすっかり寝入ってしまったらしいアーヴァインに、セルフィは残念なようなホッとしたような気持ちになった。
「やっぱり、ちょっと残念……かもしんない」
 まだドキドキ言っている心臓を鎮めるように、その上でギュッと手を握り、セルフィはもう一度アーヴァインに口づけた。

「今度はちゃんとシラフで誘ってね、アービン」
 そしたら――――薄衣一枚で保っているような理性をかなぐり捨てて、アービンのゼロ距離に落ちるから。

 セルフィはアーヴァインをきちんとベッドに寝かすと、ちょっとした悪戯心から、自分の部屋には戻らずそのままアーヴァインの隣にもぐり込んだ。
 朝、どんな顔をして「おはよう」を言ってくれるのか、楽しみにしながら。