身長差

 アーヴァインはふいに足を止めた。全く自分に気づいてないらしい後ろ姿に思わず目を細める。
 彼女はこうやって近づいても気がつかないことが多い。それが残念だったりすることの方が多いけれど、今はどっちかっていうと、ラッキーな方のような気がする。
 アーヴァインはそ〜っと近づいた。
「なんっでっ、こんなっ、トコにっ、入ってんねんっ!」
 カワイイ後ろ姿はそう言って、上に向かって精一杯手を伸ばしている。かろうじて棚上段の箱に手が届く。その箱を何とか掴んで慎重に降ろそうとした時、彼女の身体が揺れた。
「うわ〜っ」
 ぐら〜っと後ろに傾いた手から箱を取り上げ、コケないように真後ろから自分の身体を使って支えた。
「大丈夫? セフィ」
 アーヴァインが下を向いて声をかけると、セルフィは驚いたように上を見上げた。
 そのままアーヴァインの顔をじ〜っと見て、セルフィは何事か考えているようだった。そしてちょっと眉間に皺を寄せて口を開いた。
「なんでアービンはそんな背が高いん」
「え、え? そこ? なんでって言われても……」
「あたしが届かへんトコにも楽々届くし、ずる〜い」
 相変わらずセルフィはアーヴァインの予想外のところを突いてくる。
「と、言われても、僕だって困るよ〜。気がついたらこんな高さになってたんだよ〜」
「あたしも、もうちょっと身長欲しかった〜」
「ええ〜 ダメだよ。セフィはこの大きさがいいの」
「なんで? 見た目にもアービンと並ぶとでこぼこでヘンだよ〜」
 今頃気にするようなことでもないとアーヴァインには思えたけれど、セルフィの顔はけっこう真剣だった。
「ダメ、ダメ。セフィは僕にすっぽり隠れる大きさじゃないとダメ〜、ほら」
 さっさと手に持っていた箱はシンク横の空きスペースに置いて、アーヴァインはセルフィを後ろから抱きすくめた。
「なにが、『ほら』やねん!」
「しっくり馴染むと思わない?」
「…………」
 セルフィは否定しなかった。
 端から見てしっくりとしているのかどうかは分からなかったけれど、このすっぽり包まれる感じにすっかり馴染んでいるのは確かだった。もっと正直に言うと、このアーヴァインに包み込まれている感覚は、かなり好きなのだ。
 多分こんな風に感じることが出来るのは、アーヴァインの言う通り彼と自分にこれだけの身長差と体格差があるから……かも。
「ねっ、セフィ」
 ふわふわとした温かい感覚に流されかけていたセルフィは、耳元で聞こえたアーヴァインの声にハッとした。
「こんなことしてる場合やないやろ。さっさと準備に戻るで」
 そうなのだ、今は大事な明日に備えての準備中。それより、ここにいるのは自分たちだけではない、誰かに見られでもしたら、恥ずかしいことこの上ない。
 今、この期に及んでも――――。



「相変わらずだね〜。アーヴァインとセルフィ」
 キッチンでのアーヴァインとセルフィのやり取りは、ドアが開け放たれている隣のリビングからでもよく見えた。リノアは小さな花束に綺麗なリボンを結びながら、その光景を見ていた。
「ホント、変わらないわね。というより変わりようがないんじゃない?」
 キスティスは床に並べられたバケツの中に入ってる、摘んできたばかりの花の中からバランス良く選び取っていた。
「二人が変わったのは身長差くらいかもしれないわね」
 同じテーブルを囲んでイデアも、二人と同じように花束を作りながら柔らかく微笑した。懐かしいとも思えるやり取りを垣間見て、イデアの中の優しい記憶が呼び起こされる。
 短くはあったが、この家で過ごした日々は心に色鮮やかに焼き付いている。ここで慈しんだ子供たち一人一人の顔は今でもすぐに思い浮かぶ。
 子供たちの中でも男の子に負けず劣らず元気に飛び回っていたセルフィ。そして彼女とは対照的に、アーヴァインは大人しくて目立つような子ではなかったけれど、その印象は深かった。いつもセルフィの傍にいて、彼女の無茶振りにも辛抱強く付き合っていた。端から見ていてもいじらしく、――――願わくば、いつか彼らの願いが叶うようにと思っていた。
 たとえ広い砂浜の中から小さな一粒を探し出すような、気の遠くなるような願いであったとしても。抗いがたい過酷な運命が立ち塞がっていたとしても。たとえ魔女であったこの身を葬り去るのが彼らであったとしても。イデアはここにいた全ての子供たちの幸せを願っていた。ずっと、ずっと。

「アーヴァインて、本当にず〜〜っとセルフィのこと好きだったんだね〜。小さい頃出会って、でもすぐ離ればなれになって、歳月を経て再会して、何とかセルフィを落として、ここまで漕ぎ着けたんだね〜。運命だよね〜、ステキだよね〜、ロマンティック〜」
 イデアが語ったセルフィたちの幼い頃の話に、リノアはうっとりとした瞳で、持っていたリボンでくるくるとハート形を作っていた。
「あなたたちだってとても運命的でドラマティックだったわよ。でも、アーヴァインは尊敬に値する忍耐力と根性よね。別の見方をするとストーカーじみてるけど」
「うわ〜、キスティス厳しい〜。当たってるけど。アーヴァインてば、再会していきなりセルフィに声かけてたもんね」
「ゼルがキレまくってたわよね、アーヴァインの態度がああだったからムリもなかったけど」
「最初の頃は軟派だったもんね〜」
「まあ、アーヴァインて軟派だったの?」
「そうなんですよ、イデアさん。女の子によ〜く声かけてました。でも」
「心の中はセルフィ一直線だったわね」
「うん、うん。すごく分かり易かった。私、アーヴァインとセルフィ、上手くといいな〜ってずっと思ってたんだよね」
「あら、リノアも? 私も思ってたわ。何て言うか、あの二人とてもイメージが合うのよね」
「そうそう、ソレ! 絵になる、とかっていうのとは違うんだけど、二人が並ぶととてもしっくりするっていうか」
「そうか!? 俺にはそんな風に見えないぞ」
 底が浅めの大きなケースを持ってサイファーがやって来た。
「サイファー、まだそんなこと言ってんの。いい加減諦めなよ、大事な妹の幸せを祝福してあげないとセルフィ泣くよ〜」
「あら、サイファーはセルフィのお兄さん役なの?」
「そうなんですよ〜、ついでに本当の兄妹ばりにシスコンなんです」
 キスティスもリノアに同意を示すように、彼女の隣でクスクスと笑う。その様子がまたサイファーには面白くなく思いっきり不機嫌な顔になった。
「リノア、その口縫いつけるぞ。ママ先生に余計なこと言うな」
「うわっ、サイファーの“ママ先生”! すっごいレア。サイファーでもママ先生って言うんだ、うわー、貴重なの聞いちゃった〜」
「リノア、お前は!」
「サイファー、乱暴はダメよ」
 持っているケースの底に水が張ってあるのも忘れたのか、今にもケースを打ち振りそうなサイファーを、イデアはやんわりと止めた。その声にサイファーの動きがピタと止まる。あまり見ることの出来ない素直な態度にリノアは、サイファーにとっても“ママ先生”は特別な存在なんだな〜と改めて思い、それ以上からかうのは止めた。
「ほら、ブーケを入れられないからじっとしてて、サイファー。折角作ったブーケが台無しになったら、セルフィ本当に泣くわよ。飾り付け用でも大事なのよ」
 更に続いたキスティスの追い打ちに、サイファーは反論をしようと思ったが思い止まった。三対一では勝ち目がない。一対一だったとしても彼女たち相手に、口で勝つのは難しい。
「本当に、ここでまたあなたたちに会えて、一緒にお祝いをすることが出来て嬉しいわ。ここを選んでくれたセルフィとアーヴァインに感謝ね」
 サイファーが持っているケースに、出来上がったブーケを載せながら、イデアは花のような笑顔を浮かべた。
「そうですね、皆で会う機会も減ったし、こうして準備をするのも、一つ一つが楽しくて、本当二人には感謝だわ」
「明日はすっごい式にしないとね! サイファー、絶対ヘンなことしちゃダメだよ!」
「しねーよ」
「どうだか」
「これでも、ホッとしてるんだよ。ちゃんと行く末が決まってな」
 サイファーは冗談めかすでもなく、静かにそう言った。自称セルフィの兄として複雑ではあるが、心配もしていたのだ。端から見ていると進展しているのかいないのかさっぱり分からない上に、あのアーヴァインの性格を思うと、いっそ自分がお膳立てしようかと変な気を起こしたこともあった。それが何とかここまで辿り着いて、本当に安心した。残念な気持ちもまだ多少は残っているが、セルフィが望むのはアーヴァインで、アーヴァイン以外のヤツに渡すのはもっと気に入らない。
 だからここは寂しさを堪え、兄として妹の幸せを祝福……――――。
「なに、なに、何の話してんの〜?」
 しんみりとしたサイファーの心をどーんとを蹴散らして、脳天気な声が割って入った。
「セルフィこそどうしたの?」
「暇なんだよ〜、なんかすることない〜?」
「主役のすることなんかないぞ。セルフィはこれでも持って明日のリハーサルでもやってろ」
 サイファーはケースの中の小さな花束を一つ取ってセルフィに突き出した。
「ええ〜」
「あ、ここにいたセフィ」
 不満顔でセルフィが頬を膨らませた時、アーヴァインがセルフィを追いかけるようにしてやって来た。
「アーヴァイン、セルフィをちゃんと括っとけ、準備のジャマだ」
 どの口がそれを言うか、とリノアとキスティスはあきれたが口には出さなかった。
「あら、ホントね、二人が並ぶとしっくりするわね」
「イデアさんもそう思いますよね」
 リノアの言葉に少しだけ渋面になったが、サイファーはもう否定はしなかった。
「なんの話〜?」
 セルフィが当然の疑問を口にする。
「アーヴァインとセルフィは、そうやって並んでいるだけでしっくりと馴染むってことよ」
 キスティスにウィンクまで付け加えられ、途端セルフィの頬に朱が走った。
「ほらね〜、僕が言った通りでしょ〜? あ、セフィ」
 セルフィはアーヴァインを置き去りにしてスコールとゼルと三つ編みちゃんのいる方へ猛ダッシュしていた。
 アーヴァインは少し肩を落として溜息をつく。
「相変わらずだね」
 リノアは頬杖をついてにこにことアーヴァインを見上げていた。
「だろ〜? アレは一生直らないのかな〜」
「かもね」
「イヤなら、止めてもいいんだぞ。今なら間に合う。セルフィにふさわしい相手は、俺が責任をもって探してやる」
 キスティスのあと間髪を入れず言うとサイファーは、これみよがしの不敵顔でアーヴァインを見た。
「絶対、ヤメるもんか! もうセフィは僕のものなのっ!」
 今日は珍しくアーヴァインも強気で受けて立つ。
「ふん、ヘタレのくせに!」
「ヘタレだろうと何だろうと、セフィは僕を選んだんだよっ! ふーんだ」
「ガーーッ!!」
 聞いている方が情けなくなるような言い合いを繰り広げるアーヴァインとサイファーに落ち着けとでも言うように、外から流れ込んだ風が、白いレースのカーテンをドレスの裾を揺らすようにして通り過ぎた。
「二人共、そろそろ止めたらどうかしら、セルフィが泣くわよ」
 愛しい子供たちのやり取りを微笑ましく見ていたイデアの髪も、風は揺らしていった。その風にイデアが窓の外を見ると、グッドホープの空は昔と同じように鮮やかな蒼色をしていた。
 風の匂いと空の色に、明日も良い天気になる、イデアはそう思い口元を綻ばせた。