日記

 部屋の上部から差し込む光はもう天井近くしか照らしておらず、部屋の中は少し薄暗い。何列も立ち並ぶロッカー群の中のココには、ちょっと不自由な明るさかも知れない。けれど差し支えはなかった。けして広くはないロッカーの中のどこに何があるかくらい、目を瞑っていても分かる。それにもう、ロッカーの中身は全て段ボール箱に移してしまった。
 セルフィは、長いとはいえない時間ではあったけれど、使い慣れたロッカーの扉を閉めた。でも扉はまだ完全には閉まっていない。完全に閉めるにはちょっとしたコツがいるのだ。もともと閉まりにくかった扉を、いつだったかどうにも腹が立つことがあって蹴ってしまい、更に閉まりにくくなってしまった。慌ててぐいぐい直してみたけれど、完全には直らずそのまま……。
「自費で新しいのにしてもらおうか……」
 後輩にこの使いにくさ満点のまま渡すのは申し訳なく、セルフィはそんなことを思った。
 ぐいっと押した扉がカタンと音をたてて完全に閉まる。外側にぺたぺた貼ってあったメモやラグナさんの写真をひとつひとつ剥がした。さすがにアーヴァインの写真は貼ってない。内側の鏡のウラにはこっそり貼ってたケド。
 最後に、手描きのカラフルなネームプレートを一撫でしそれも外して、段ボール箱の中に入れた。

「あ、ゼルも荷物整理〜?」
 ロッカールームを出た所で、向かいの男子ロッカールームからゼルが出てきた。彼もセルフィと同じような大きさの段ボール箱を持っている。
「ゼル、意外と荷物少ないんだね」
「女子と違って、男はこんなもんだろ」
「そっか〜」
 通路を並んで歩く。
「アーヴァインは、俺と同じくらいあったみたいだけどな」
 俺より在籍時間短いのに、とか笑いながら話してくれるのをセルフィは黙って聞いていた。
「あいつココよっぽど好きみたいだな。やたら名残惜しそうな顔して荷物詰め込んでたぞ。当日泣くんじゃね?」
「かもね〜、アービンて昔から感受性強かったから」
「その点セルフィは、けっこうすっぱりしてるよな〜」
「ちょっとゼル、ソレあたしが無神経みたいに聞こえるやんっ」
「あ、スマン。いつもじゃなくて、そういう時もあるってイミだったんだ。な、セルフィはもう全部終わったのか?」
「うん、終わった…………あ、もう一つ残ってた」
 セルフィはゼルに問われて、まだ残っているものがあったことに気がついた。
「忘れるトコやった、ゼルありがと〜。ちょっとそっちへ寄ってくから、またね〜」
 おう、と手を振ってくれたゼルとは別れて、そっちへ向かう。

「うわ明るっ」
 ドアが開いて視界が急に眩しくなった。ロッカールームは薄暗かったが、この教室は夕暮れの赤みがかった日差しがたっぷり差し込んでいた。手をかざして光りを避けながら馴染んだ席に着く。軽くパネルに触れると、軽い動作音と共に学習パネルが立ち上がった。いつもそうしてきたように、キーを押して目的のページを開く。
「ログ、ずいぶん増えたな〜」
 ページを送って、改めてその量の多さに驚いた。ここに転校してきてから綴ってきた公開日記。ちょこちょこっと読んでみると、すっかり内容を忘れているものも結構あったが、大半はその時その時の感情や映像が蘇ってきてじ〜んときた。
 特に最初の頃。転校してきてすぐSeeDになって、途端とんでもないものに巻き込まれて、毎日何が起こるか全く予想もつかなくて、身体も感情も付いていけないこともあったりと、かなり混乱していた。今振り返ると、一年と少しくらいの間に、何年分もの体験をしたような気がする。それくらいスゴすぎる日々だった。
「そんな中きっちり日記書いてたんやな〜」
 自分でも天晴れな楽天家ぶりだ。けれど気持ちが沈んでいても、書いた後、ほんの少し心が軽くなったこともあった。
 そして何と言っても一人じゃなかったから。みんながいたから、辛くても、泣きそうになっても、膝をつきそうになっても頑張れた、起きあがれた。
「そう言えば、みんなに強制的に書かせたっけ〜」
 ポチポチっとパネルを操作して、仲間に書いてもらったページに移動する。
「アレ、最初に書いてもらったのってアービン?? うわ〜、意外〜」
 そんなこと、もうすっかり忘れていた。
「なんでアービンやったんやろ」
 この時期はアーヴァインよりもゼルやキスティスの方が仲は良かった。何故アーヴァインだったのか知りたくて、セルフィは当時の自分へと記憶を遡った。
 更新する時は大抵この教室を使っていて、それで――、そうだアーヴァインとはこの教室でよく顔を合わせたのだ。自分が先にいたり、アーヴァインが後から入ってきたり。特に親しく会話をするでもなく、アーヴァインはいつも教室の後ろの方に立っていた。当時の彼の素行を振り返ると、女の子の物色でもしていたのかなと思う。もしかしたらフェイクだったのかもしれないけれど。
 でも、何故書いてもらうことになったんだろうか。
「あっれ〜?」
 セルフィは肝心な部分が思い出せなかった。
「う〜ん、何でだっけ……」
 じ〜っと、画面を見つめて考える。
「何してるんだい?」
 陽気な声が聞こえた。
「思い出した!」
 そう、こんな感じ。アーヴァインが声をかけてきたのだ。入り口近くで立ち話をしていたカワイイ女の子たちの所ではなく、セルフィの所にやって来た。ナイスタイミングだと思って、軽〜く「書いてよ〜」と依頼したのだ。
 最初はやっぱり班長のスコールに、と思っていたけれど、彼はちっとも書いてくれず、いい加減くたびれてアーヴァインでもいいかと思ったんだった。正直に「スコールの代わりに」と言ったら、がっくりとした様子だったけれど。それでも笑顔で「いいよ」と言ってくれた。
「何を思い出したの〜?」
「え!?」
 自分の記憶の声だと思ったけれど、何だかとても近くで声がした。
「アービンいたんだ」
 声のした方を向けばアーヴァインがこっちへ歩いてきていた。
「ひどいな〜、ちゃんと声かけたよ〜? もしかして全然気がついてなかったの?」
「あ〜、そうみたい」
 えへへと笑うと、アーヴァインはあからさまにむくれた。
「まま、座りなよ。チョコレート食べる?」
 当時のことと今のことが重なり、少しばかり良心が咎めたので、セルフィは誠意もてなした。むくれながらも、アーヴァインはちゃっかり勧められたセルフィの横に腰を降ろす。
「公開日記? 懐かしいね〜」
 身体をセルフィの方に少し捻ってアーヴァインは学習パネルの横に肘をついた。
「学園祭の日のヤツだね。すごかったよねこの時、キロスさんの飛び入りとか。あんまり前衛的すぎてワケの分からない踊りかと思ったら、瞬きするのも忘れるくらい優美だったり。あの時は完全にキロスさんに持っていかれて、セフィ悔しがってたよね」
「そんなこともあったね〜。アレは、うん、ちょっと悔しかった」
 セルフィは当時を思い出し、隣で笑うアーヴァインにつらて笑う。
「でも……コレも、もう読めなくなっちゃうんだ。なんだか淋しいね」
 アーヴァインの言葉に、セルフィは急に現実に引き戻された。続けてここに来た理由を思い出す。
 パネルの脇には自分で置いたデータステックが見える。もう、これを更新することはない。公開日記だけではなく、学園祭のページも、ラグナのページも、ここでの講義も、みんなみんな、もう終わり。
 そう思うと、アーヴァインの『淋しいね』という言葉が、セルフィの胸をトンと撃った。
「――セフィ、どうしたの!?」
 セルフィは思わずアーヴァインの胸に抱きついていた。
「ちょっとだけ、このままでおって」
「え? う、うん」
 アーヴァインは最初何事かと戸惑ったけれど、セルフィの向こう側に置いてある段ボール箱を見て、察しがついた。


「アービン」
「ん?」
 周りが少し暗くなり、学習パネルの画面がちょっと眩しくなった頃、セルフィはアーヴァインから少しだけ身体を離して呟いた。
「ありがとね」
「どういたしまして」
 セルフィはアーヴァインから完全に離れると、てきぱきと学習パネルを操作し始めた。
 アーヴァインは黙ってセルフィの隣で見守った。
「これでおしまい」
 セルフィがそう言った後すぐに、目次のページから公開日記の文字が消えた。
 それは文字だけではなく、そこに詰まっていた思い出が消えた瞬間でもある。見ているだけではあっても、アーヴァインは淋しいと感じた。
「これで本当にさよならだね」
「そうだね、卒業だからね」
「本当はウレシイことなんだよね、卒業って」
「でも、淋しいね。こうして色々整理していると」
「アービンも淋しいんだ」
「ここにはたくさん思い出が詰まってるからね。みんな、そうじゃないかな」
「かな、やっぱり……」
「そろそろ、行こうか」
「うん」
 アーヴァインに促され、セルフィはデータを移したスティックを学習パネルから抜き取ると電源を落とした。
 学習パネルの画面が消えると、教室の中が本当に暗くなった。


「セフィ」
「なに〜?」
 明るい廊下に出た所で、少し前を歩いていたアーヴァインがセルフィを振り返った。
「これからもよろしくね。でさ、やっぱりお隣さんじゃなくて、一緒に住まない〜? その方がイロイロ良くない?」
「イ〜ヤ」
「即答〜?」
 がっくりと項垂れたアーヴァインと一緒に、彼が持っている段ボール箱も揺れる。
「それ大事なものが入ってるんだから、落としたら鉄拳制裁だよ」
「ええ〜〜、ねー、セフィってば〜」
「さっさと歩かないと置いてくよ〜」
 セルフィはごねるアーヴァインを追い抜いてスタスタと歩いた。
 大切な思い出のいっぱい詰まった場所を離れるのは淋しい。
 けれど、その先にある近い未来にはワクワクする。それは多分、傍にいて欲しい人がちゃんと近くにいてくれることが分かっているからなんだろうけど、セルフィは当分アーヴァインには内緒にしておくつもりだった。