大統領閣下

 眼下に見える淡い蒼の巻き貝を模したガーデンは、周囲の濃い緑に映えて美しかった。そのガーデンから少し離れた所を一台の車がバラムの街の方へ向かって走っている。セルフィはそれを一瞬だけ見て、はぁと息をついた。
「元気がないな」
「そんなことないよ〜」
 慌てて隣のスコールに返答する。
 そうだ、そんなことがあるはずないのだ。今ラグナロクでエスタに向かっている。主な目的はスコールのお供で公用だけれど、その後私用でラグナ様にも会える。誕生日にと、そんなサプライズを用意されて嬉しくないはずがない。
 なのに……。
 何故かセルフィの気分はラグナロクのように上昇気流に乗れないでいた。
「今日は公用とは言っても殆どプラスベートみたいなものだ。楽にしてていい」
「うん、ありがとう。優しいね、スコール」
「?」
 何のことだ? と言いたげな皺がスコールの眉間に浮かぶ。
「はんちょは男前だってコト」
「…………」
 何も言わずスコールは正面に視線を戻した。表情も至って普通。相変わらずパッと見ただけでは何を考えているのか解りづらい。けれどセルフィには、スコールが気遣ってくれたのだということはよ〜く分かった。リノアは物足りないと言うけれど、セルフィはちょっと羨ましいと思う時もあった。誇大表現の多すぎる誰かと足して二で割れば、丁度いい位になるんじゃないだろうか。
 いつもなら思い出し笑いのひとつもする所だけれど、セルフィは何故かまたほんの少し気分が沈んだ。


「お、セルフィちゃん久し振りだな〜」
 大統領官邸の私室にほとんど顔パスで通され、そわそわとソファに座って待つセルフィの後ろで、ドアの開いた音がした後に陽気な声がした。
「ラグナさん、それにキロスさん、ウォードさんも、お久しぶりです。皆さんお元気そうですね」
 あこがれの君登場に思わず勢いよく立ち上がり挨拶をすると、ラグナと共にキロスとウォードの姿も見えた。二人共今日はエスタの公務服ではなく、ラグナのようなラフな服装なのでいつもより若々しく見えた。
「君も元気そうだね、こっちは見れば分かるかな」
 優雅な微笑みを浮かべながらさりげなくキロスはセルフィに握手を求めた。その所作が実に自然で柔らかく、長身と強烈な印象を与えがちな容貌をさらに魅力的な武器にしているのはさすがだと思いながら、セルフィは笑顔で握手に応えた。初めて会った時には、その迫力に気圧されてかなりどぎまぎしたような気がする。
「……、…………」
 続けてウォードとも握手をする。この人の印象は初めて会った時からそう変わっていない。パッと見は大柄でがっしりとした体躯に加えて顔に大きな傷もあって、怖そうな印象だけれど、纏う雰囲気は至って穏やか。言葉がない分内面が滲み出ているような気がする。それと、体格とか雰囲気とかがトラビアの養父に似ていて、勝手に親近感を持っていた。
「スコールから聞いたんだが、セルフィちゃん、誕生日なんだってな。おめでとなー、ほい、これ貰ってくれ」
「わ、ありがとうございます」
 身体の後ろに隠していたらしい、淡いオレンジ色の袋をラグナはにこにこと差し出していた。
 ラグナの笑顔は相変わらず子供のように無邪気で、つい引き込まれる。その笑顔だけでも十分な贈り物なのに、プレゼントまで貰えてセルフィはめちゃめちゃ嬉しかった。
「エスタで珍しく本気でオススメのお菓子屋さんのクッキーだ」
「ラグナ君、それでは大統領自ら自国の食べ物はマズイ、と言っているようなものではないか」
「ホントのことだろー。絶対エスタの人間のセンスはキロス並に変わってるって! な、ウォードもそう思うだろ?」
「…………」
 同意を求められたウォードは肯定とも否定とも取れぬ複雑な顔をした。
 セルフィもウォードに近い心境だった。エスタの独自の文化は食にも及んでいて、かなり独創的だ。初めてエスタシティで食べた食事はきっと一生忘れない。ただ探せば自分たちの味覚に合うお店もあることはある。圧倒的に数が少ないだけで。エスタに住めないかもしれないと思ったのは、唯一その点だった。
「ラグナ君、君は自分の味覚の方がおかしいとは思わないのか?」
「ジャーナリストとして、各国の料理を食べて回ったオレの舌は確かだ。変わってんのはお前の方だキロス」
「相変わらず君は、経験がちっとも身に付いていないのだな。おまけにセンスも悪い」
 ああ言えばこう言う、いい年をした大人二人の地を這うような反論の応酬はいつまで経っても止みそうにない。
 キロスの隣でウォードは、どっちもどっちだと言うような顔をして溜息をついた。
 セルフィは思わず吹き出した。ずっと前から変わらないやり取り。これが一国のトップの人間たちの日常かと思うと頭を抱えたくなるが、個人として考えた時には非常に羨ましい関係だ。絶対の信頼という大前提があってこそ成り立つ軽口。この人たちからは常にそれが感じられる。
「ほら、セルフィちゃんがあきれて笑ってんぞ〜」
「それはラグナ君が子供っぽ過ぎるからだ。これでは嫁候補から辞退されても仕方ない」
「なんだソレ、いつの間にそんな候補が出来てたんだ!?」
 これにはラグナ同様セルフィもぶったまげた。まさか今ここでその話題が出て来るとは思ってもいなかった。キロスの言葉に、あの時暴走したとある人物のことを思い出す。それがまた……。
「私とウォードの心の中だ。何人かリストアップしてあったが、どれも見事玉砕だ」
 やはりキロスの隣でウォードも大きく頷く。
「ぎょくさいっ!? オレの知らない所で勝手に画策して、勝手に玉砕だ〜? なんだそれは〜、ヨメはいらないって。大体セルフィちゃんにはちゃんと相手がいるだろ〜が……」
 ラグナは思い出したようにセルフィの方にぐいんと首を動かした。
「おや、そう言えば、今日はセルフィちゃん一人なのか?」
 セルフィはそう問われて、きゅっと胸の奥に痛みを感じた。急に話を振られて驚くより先に。
「めずらしいね、いつもは彼が一緒なのに」
「…………」
 ウォードは室内を改めて見回していた。
「今日は急な任務で一緒じゃないんです」
 セルフィは痛みの原因が判ったような気がした。そうなのだ。エスタにラグナさんに会いに来る時は、大抵アーヴァインもくっついて来ていたのだ。といっても、相手は大統領、滅多に会える相手ではないのでほんの数回だけれど。
 それが今回はアーヴァインに急な任務が入って一緒ではない。というより今回の任務は、本来アーヴァインではなくセルフィの任務だったのだ。それが直前になって、理由も言われず変更を告げられて、セルフィはスコールとエスタに来ることになった。何だか妙な違和感を感じてキスティスに詰め寄ったら、アーヴァインがセルフィの代わりに決まったと教えてくれた。それが昨日。すぐにアーヴァインが謀ったのだと思ったけれど、当の本人は既に任務に出発した後だった。
 そりゃ、ラグナさんに会うのは本当に難しい。そして嬉しい。けれど、それよりも――――。
『アービンのアホ。アービンがいてないと意味ないやん』
 セルフィは胸の奥の鈍い痛みの元凶に毒づいた。
「ラグナ君そろそろ時間かな」
「お、もうか。セルフィちゃんせっかく来てくれたのに、時間短くてごめんな。今度はゆっくり話そうな」
 そう言ってラグナはセルフィの頭をポンポンと撫でた。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
「また会いに来てくれな〜。お、今度はこっちから会いに行くか」
「それならぜひ学園祭にお邪魔したい。ついでに望みとあらば、私も一肌脱がせてもらうよ。最近新しい民族舞踊を覚えたのだよ」
 キロスはひらんと手を振り、美笑をセルフィに向けた。
「そ、相談してみます」
 セルフィもキロスのように微笑んだ、つもりだったが唇の端がぴくぴくとしてしまったような気もする。
 相変わらずの気さくさがセルフィは嬉しかった。嬉しくはあったが、心の中を別のことが支配し始めていた。ラグナたちと別れたら、後はバラムに帰るだけ。今からすぐラグナロクの最高速度でバラムに帰れば、ガルバディア行き最終列車に間に合う。アーヴァインのいるガルバディアに。そう思ったら居ても立ってもいられなくなってきた。
「デリングシティは夜だっけか」
「ああ、そうだな。現地時間で21時着の予定だ」
 もうラグナとは全く別のことを考えていたセルフィの耳に、デリングシティの単語だけが勢いよく飛び込んできた。
「デリングシティに行かれるんですか?」
「ん? そうだよ」
「あたしも連れ行ってもらえませんか?」
 自分でもびっくり仰天だった。何て突拍子もないことを言うのか。というより非常識極まりない。
 ラグナは言うに及ばず、ウォードも、冷静沈着で何事にも動じない顔に出ないキロスまで、セルフィを凝視しているではないか。
「いや〜、公務だから、セルフィちゃんの頼みでもちとムリかな〜」
 ラグナはすまなそうにポリポリと頭を掻いた。
「あ、いえ、そうじゃなくて。ついでにデリングシティまで乗せて行ってもらえたら……ってすみません、それでも非常識過ぎました。本当にすみません」
 セルフィはつい口走ってしまったことが、あまりにも恥ずかしくなり勢いよく頭を下げて、足早にこの部屋を出ようとした。
「それならいいぞ〜、セルフィちゃん。な、キロス」
「そう言えば、ちょ〜〜ど警備が心許ないと思っていたところだ」
「でも……」
「一緒に行こうや、その方が楽しい。スコールにはオレから言っとくな」
「ラグナ君は話をややこしくしそうだから、ここは私の方が適任だ」
「なにお〜」
「……」
 ウォードは優しい瞳をして、セルフィの肩をポンと叩いてくれた。




 無数の小さな光りの点と共に浮かび上がる夜景が、地上の星空のような都会(まち)。眠ることを知らぬような煌びやかさも、その中に一歩入ってしまえば、ちゃんと夜の顔をしていた。
 セルフィは街灯で明るい通りを走っていた。ショーウィンドウの明かりが誘うお気に入りの店にも目もくれず、目的地に向かって直走る。やがて任務で何度か使ったことのあるホテルが見えてきた。
『もうちょっと……』
 そう思うと、走り続けて苦しいはずの呼吸も全然気にならない。けれども辿り着いたホテルの入り口前で一旦足を止めた。逸る心を抑えて乱れた呼吸が収まるのを待つ。でないとこの勢いでホテルの中に突っ込んだら思いっきり不振客になりそうだった。
 呼吸が落ち着いた所で、エントランスに足を踏み入れる。心臓の動悸はちっとも治ってはくれないが、それはもう諦めるしかないとセルフィにも判っていた。それどころか逆に教えて貰った部屋に近づくにつれ、動悸は激しくなっている。
 アーヴァインがいるはずの部屋の呼び鈴を押す頃には、手で押さえていないと心臓が飛び出しそうなくらいになっていた。
「はい」
 呼び鈴を押すとすぐに、よく知っているちょっと低めの柔らかい声がした。間を置かずドアが開く。
「アービンのバカ! 任務お疲れ!」
 言うと同時、セルフィは現われたアーヴァインに抱きついた。
「えっ!? あ、ええ〜っ!! セフィ!?」
 現状把握出来てなさそうなわりには、アーヴァインはきっちりセルフィを抱き留めていた。
「セフィ、ラグナさんとこじゃなかったの?」
 ドアが閉まりカチンとオートロックが掛かった音がした後アーヴァインは訊いた。
「ラグナ様のラグナロクに乗せてもらった」
「ええっ!?」
 アーヴァインは心底驚いた。大統領専用艇を足代わりに使ったのかと。それでもセルフィなら納得しないでもないような気もした。そしてようやく今自分の腕の中にいるのは、紛れもなくセルフィなんだという実感が湧く。
 確かめるようにぎゅっと抱きしめると、柔らかな身体の感触と、いつものセルフィの匂いがする。
「もしかして、僕に会いに来てくれた?」
「アービンなんかに会いに来たりせーへんもん」
 アーヴァインの胸に顔をうずめたままそんなことを言っても、いまいち説得力に欠けていた。
「そっか、ごめん。僕の勘違いか」
「アービンのバカ。ちっとも分かってへん」
「ごめん」
 セルフィが何を分かってないと言っているのかが分からないので謝った。
「あたしの誕生日終わるトコやったやん」
「あ、誕生日おめでとうセフィ、って、え? それって……」
「ありがとね、アービン。けど、あんなサプライズはええから、来年は一緒におってな」
「ラグナさんより僕の方がいいの?」
 セルフィは言葉で返事をする代わりに、アーヴァインに抱きついている腕に更に力を込めた。