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『大切なもの、大切な世界2』
 ごろんと寝返りを打とうとすると少し身体が軋んだ。つづけて身体を横たえているのが、ベッドではなくソファだったことを思い出した。何時だろうかと、身体の下敷きになって強張った腕を伸ばし、テーブルから携帯電話を取り上げてみたら夕方を示していた。
「中途半端な時間だな……」
 持ち上げた頭をもう一度伏せて、息を吐く。
 トラビアガーデンへ行った後からこっち、アーヴァインは毎日同じことばかり繰り返し考えていた。
 今更考えても仕方のないことだということは解っている。解ってはいるが、もっと別の選択肢はないのかと、ついそんなことを思ってしまう。
 もうじき新たな戦いが待っている。
 今度、自分が刃を交えようとしているのは、かつての学舎(まなびや)ガルバディアガーデン。いくら楽しい思い出は少なかったとはいえ、共に学んだ者達に対して銃口を向けるのは、心が冷える。と同時にあのガーデンに対して、思慕の念が残っていたことに少しばかり驚く。
 そして、全ての元凶魔女イデア。
 彼女に対してもまだ心のどこかで、優しいママ先生に戻ってくれることを期待している。ママ先生とはとても思えない、冷たい凍ったような瞳と間近で対峙した今でも――――。
 自分は弱いとつくづく思う。
 あれほど、はっきりと、仲間達の前で戦う道を選ぶと宣言したのに。その決心は、こうして常に揺らいでいる。
 戦うこと以外で解決の道を探し求めた、F.H.のドープ駅長。トラビアガーデンで、戦わずにすむ方法はないだろうか、と言ったリノアの言葉が、ずっと心の中で木霊している。
 今はそんな悠長なことを言っていられるような状況ではない。魔女イデアは、人の言葉に耳を貸すような相手ではなかった。強大な力を持ちながら、人の情など持ち合わせていない。独裁者デリングよりもっと質の悪い相手だ。言葉でダメならば、力で対抗するしか方法はない。確かにそう思う。それしかないと思う。
 それなのに、心の奥。あの二人の言葉がずっと、浮かんでは沈んでいく。その選択肢は間違っているのではないかと、疑問を投げかけてくる。
 考えれば考えるほど、決心は鈍り、迷いは膨れあがるようでアーヴァインは怖かった。
「ホントに僕は……」
 アーヴァインは腕で顔を覆い、深く息を吐いた。少し、ガーデンの中でも歩こう。一人で閉じこもっているよりは、きっとマシだろう。あわよくば、セルフィの顔でも見られれば、こんな鬱々とした思考の渦から逃れられるかも知れない。
「よし」
 セルフィのことを考えただけで、少し気分が晴れた自分をゲンキンだなと思いながら、アーヴァインは身体を起こした。

 ガーデンの中をフラフラと歩き回る。この学園の気風なのか、呼び止めてセルフィを見なかったかと訊けば、皆気さくに答えてくれる。傭兵を育てる施設にしては、些かのんびりし過ぎているとは思うが、かと言って軍隊然としたガルバディアガーデンよりは、居心地がよいのも事実だった。あっちにいた頃のように、あからさまにが陰口を叩かれることもなければ、これみよがしにすり寄って来る者もいない。人の目を気にせずに済むと、これほど心が軽く開放感に浸れるのかと思う。
 それもこれも、あの子がここにいるからこそなんだけれど……。その肝心の捜し人が見つからない。
「どこにいるんだろ、セルフィ。ていうか、ココどこ?」
 アーヴァインはいつの間にか見知らぬ場所に来ていた。きちんと手入れされた芝生と、所々に木が植えてあったり、ベンチもあったりする所を見ると、中庭とかそんな所なんだろうとは思う。ガルバディアガーデンほどではないが、このガーデンも新参者の自分にとっては十分に大きい。うっかり迷子になる位は。
「どこをどう通ってきたのか……」
 ふうと溜息をついてくるんと身体の向きを変えたら、視界の先、ベンチに座っている人の後ろ姿が見えた。髪型を見る限りではセルフィっぽい。やっと見つけられたと安堵にも似た思いで、足早にそちらへ向かおうとした時、彼女に駆け寄るもう一人の姿があった。少しばかりがっかりとした気分で、歩調も落としたが、それでもアーヴァインはセルフィの所へ足を向けた。
 セルフィに駆け寄った人物は、軽く言葉を交わすと、すぐにそこから立ち去った。どうやら簡単な用事だったらしい。なんだ、と思って再び歩調を早めたら、セルフィの姿が忽然と消えた。というか、横にパタンと倒れたのだ。自ら横たわったと言うより、力なく倒れたといった感じで。
 アーヴァインは酷く胸騒ぎがした。また無理をしているんじゃないかと。いや無理をしていないはずがない。トラビアから帰ってきてからも、行く前と同じように彼女は笑っている。だから、また自分でも気付かないうちに無理をしているんだと思う。トラビアでの彼女を目の当たりにした自分には、解る。
 アーヴァインは、自分でも気付かないうちに走っていた。



 アーヴァインが中庭でセルフィを見つける少し前。セルフィも同じようにガーデンの中を歩いていた。ただアーヴァインとは違って、ちゃんと目的を持って中庭へ向かって歩いていた。
 ゆっくりと考えたかった。トラビアのこと、これからのこと、ママ先生と戦わなきゃいけない……。けれど自分の部屋で一人考え込むと、トラビアのことを思い出して、きっと泣いてしまう。だから、こうして人の目のある所で、人の目の少ない所を選んできた。
 取り敢えずベンチに腰を降ろして、持ってきたフルーツジュースを飲もう。
 相変わらずこの場所は静かだった。ここに来たときから何も変わらない、全然変わらない風景。トラビアガーデンもずっとそうだと思っていた。ボロボロに壊れてしまう日が来るなんて、思いもしなかった。たくさんの友達を一度に失うなんて。
 そのトラビアガーデンに攻撃を仕掛けた人物は、ガルバディアガーデンに居る。今度はガルバディアガーデンと戦わなきゃいけない。同じガーデンなのに。ほんのちょっと前まで、同じように学ぶ生徒同士だったのに。
 サイファーは本当に悪いヤツになっちゃったんだろうか。自分がSeeD試験に合格した時、拍手で祝ってくれたのに。幼馴染みなのに。
 ママ先生は、本当にもうあの優しいママ先生じゃないんだろうか。元の優しいママ先生に戻ることはないんだろうか。
 このまま放っておいちゃいけないってことは解る。トラビアガーデンの惨状を見れば。あんな理不尽な一方的な攻撃なんか、絶対に許しちゃおけない。だから戦わなきゃいけない。でも、ママ先生を倒したら、魔女を倒したら、それで終わるんだろうか。サイファーはどうなるんだろう。分からない。どうなってしまうのか分からない。そして――――。
「みんな、ツラクないのかな……」
 セルフィは仲間達のことを思った。
「ツラクないはず、……ないよね」
 リノア以外みんな一緒に同じ孤児院にいたのだから、きっと辛いはずだ。スコールも、キスティスも、ゼルも、アーヴァインも。幼馴染みと再会出来たことは嬉しい。仲間としての絆がより強くなったような気がする。G.F.の副作用らしきものの所為で忘れていたけど、アーヴァインが話をしてくれたお陰で、小さい頃のことも少しだけど思い出せた。でも、再会出来たけれど、喜ぶばかりでもいられないこの状況は――――。
「アーヴァイン、友達と戦わなきゃいけないんだ……」
 ひょっとしたら、そっちの方がよっぽど辛いんじゃないだろうか。誰かに友達を奪われてしまうより、自分の意志で友達と戦わなきゃいけない。戦いたくないのに、戦わなきゃいけない。悪人でもない、友人に銃口を向けなきゃいけない。アーヴァインはそういう決断をしたんだ。
 果たして自分には出来ただろうか。あんなに必死に守ろうとした、トラビアガーデンの友達に向かって……。
 セルフィはその決断の重大さに身震いがした。
 スコールが以前言った『誰が悪で、誰が善とかじゃなく、敵とそうでない奴がいるだけだ』という言葉。あの時は、漠然としか思わなかったけど。これがそうなんだ。
「アーヴァイン……大丈夫かな」
 セルフィは、少しだけ小さい頃のアーヴァインのことを思い出していた。
 優しくて、いつも自分の後を付いてきた、ちょっと気弱な男の子。再会した彼は、どこからどう見ても立派な青年で、あの頃とは違って自信家で軽い印象をうけた。
 でも――――。
 トラビアで自分達の忘れていた記憶の話をしてくれたアーヴァインは、子供の頃と何も変わっていないと思った。あれがアーヴァインの本質だと思う。昔と同じ。これは直感。何故、自信家で軽薄を装っているのかなんて、全然判らないけど。たぶん、自分なんかが踏み込んじゃいけない部分なんだろうけど。いつか、その理由を聞いてみたい。
「セルフィ先輩! よかったー、見つかって」
「どうしたの?」
 学園祭実行委員会に入ってくれた貴重な後輩が、息を切らして走ってきた。
「預かりものです」
 はい、と差し出された封筒をセルフィは受け取った。セルフィに封筒を渡し終えると、彼女の後輩は来た時と同じように風のように走り去った。それを見送った後封筒を見れば、宛名書きはよく知っている筆跡だった。トラビアの友人からの手紙。セルフィは逸る心を抑えるようにして、中の便せんを開いた。
「…………え…」
 親しい友からの便りは、嬉しい便りではなかった。
 あのミサイル攻撃で入院治療をしていた別の友人の訃報。また友人を失ったのだと、セルフィを酷く打ち付けるものだった。
「……もうイヤだ――」
 こうして親しかった人の訃報を聞くと、昏い怒りが湧いてくる。ぶつける場所のない怒りが……。ミサイル攻撃の命を下した人さえ、恨むことが出来たなら。行き場を失くした怒りが、澱のように心の奥底に溜まっていくのが分かる。もうこんなのイヤだと逃げ出してしまいたいと叫ぶ自分がいる。もう誰も失いたくないと。眠って起きたら、全部夢だったりしないのだろうか、こんなツライ思いはもうイヤだ。誰かを憎むようなことはイヤだ……。
 セルフィは意識を手放すようにベンチに倒れた。



『セフィ……』
 アーヴァインがベンチに駆け寄ると、セルフィはこてんと倒れて目を閉じていた。
 眠っているのか、アーヴァインが正面へ回り込んでも瞼は一向に開かれない。特に息苦しそうにもしていない。単に眠くなっただけなんだろうと、アーヴァインが胸を撫で下ろした時、睫が微かに震えているのが見えた。別の所へ視線を巡らすと、手には薄い色のついた封筒と便せんらしき紙を握りしめている。再びセルフィの顔を見ると、唇を噛みしめ苦しげに眉がひそめられた。
「――セフィ、君はまた……」
 アーヴァインはそっとセルフィの頬へと手を伸ばした。
 涙こそ流していないけれど、握りしめられた手紙とその表情に、また何か悲しい出来事があったんだろうと容易に知れた。どうしてこう次々と辛いことばかり起こるのか。まるで何かに試されているかのように。
 伸ばした手がセルフィの頬に触れる寸前、アーヴァインは動きを止めた。
 自分は何をしようとしているのか。自分に何が出来るのか。自分は何を為すべきなのか。それは、今やろうとしたことじゃないのだけは分かる。元凶を絶つことだ。セルフィの悲しむ顔を見たくないのなら、みんなを苦しませたくないのなら。もう迷っていられる段階じゃない。何かを決めたなら、余計なことは考えてはいけない。真っ直ぐに進まなければ。
「セフ……セルフィ、起きて」
「……ん、あれアービン?」
 思いがけない懐かしい呼び名に、アーヴァインの心臓が音を立てた。
「疲れてるのは分かるケド、こんな所で寝てたら風邪ひくよ〜」
「ん〜……そ、だね…」
 セルフィはゆっくりと目を開けてアーヴァインを見上げた。
「部屋に帰って寝なよ。途中で眠りこけないように、送ってあげるからさ」
 アーヴァインはいつものようにおどけてみせた。
「ありがと、優しいね」
「男としては、トーゼンだろ〜?」
「ふう〜ん」
 何か言いたげな悪戯っぽい瞳で、セルフィはアーヴァインを見ている。含みのある瞳に、少しばかり不本意なものを感じたが、セルフィがいつもの笑顔を取り戻したことを、アーヴァインは嬉しく思った。
「アーヴァイン、寮の部屋貰えたんだ」
「うん、なんとかね。SeeD用の個室を貰えるとは思ってなかったケドね〜」
「それだけ期待されてるってコトでしょ。がんばらないとね〜」
「そうだね」
 ガーデン内の通路を歩きながら、アーヴァインもセルフィも他愛のない会話が心地よかった。すぐ目の前には、重い使命が待っている。明日にでも立ち向かわなきゃいけなくなるような状況だ。そんな張りつめた空気が漂う中で、こうして小さなことででも笑えたりすると、少しだけど心が軽くなる。
 だから、ゆっくり歩いた。寮に着くのが少しでも遅くなるように。

「うわーーっ!!」
 メインホールから寮への分かれ道に差し掛かった所で、ガーデンが大きく揺れた。運悪く、通路の端っこを歩いていた二人は、下を流れる水の中へ、派手な水しぶきを上げて落っこちた。
「ニーダのヘボーーーッ!!」
 水の中で尻餅をついたままセルフィは拳を振り上げて叫んだ。
「ホント、ひどいや。びしょ濡れだね」
 アーヴァインはセルフィの手を引いて助け起こしながら、突然の災難をどう受け止めていいのか分からず、苦笑した。自分はまだマシだが、セルフィは本当に頭のてっぺんから、ずぶ濡れになっていた。顔もいくすじも雫が流れている。まるで泣いているように――。
「セルフィ、さ」
「ん〜?」
 Tシャツの裾をぎゅ〜と絞りながら、セルフィは顔だけをアーヴァインに向けた。
「びしょ濡れの今なら、泣いても誰にも分からないよ。僕も何も見てないから」
 セルフィは大きな瞳を見開いたまま、固まったようにアーヴァインを見て、笑った。
「ありがとう、アービン。大丈夫だよ、これでもSeeDだからね〜」
「でもツライ時は我慢しない方がいいよ」
 思いがけない優しい言葉に、セルフィは堪えていた涙が溢れそうになった。本当に溢れてしまう前に口を開く。
「ありがとう、ホント優しいよね、アービンて。ぶっちゃけて言うと泣きたいよ。けどな、泣いてる暇なんかあらへんていうのも分かってんねん。泣いてる暇があるんやったら、みんなが泣かんですむような努力をするわ。……なんてな〜」
「でも、セルフィ……」
「それより、はよ服着替えんと風邪ひくよ〜」
 ひょいと飛び上がるようにして、通路に上がったセルフィは、未だ水の中でつっ立っているアーヴァインに手を差し伸べる。
「いつ、はんちょから呼び出しがかかるか分からへんし。主戦力のスゴ腕スナイパーが鼻水たらしとったりしたら、めちゃカッコ悪いで〜」
 そう言って相変わらずセルフィは、アーヴァインに笑顔を向ける。
「そうだね」
 セルフィを励ますつもりが、逆に励まされたような複雑な気分だったが、アーヴァインもセルフィと同じように笑った。
「あ、ウワサをすれば呼ばれてるよ〜」
 セルフィの手を借りて、アーヴァインが通路まで上がると、ちょうど自分達を呼び出す放送が流れた。
「って、アービンだけ呼ばれてへんやんっ! 何考えとんねんスコールは!」
「セルフィ、君が怒らなくても」
 嬉しい驚きだった。一人呼ばれなかったことはちょっと悲しいが、セルフィが代わりに怒ってくれたのが、アーヴァインはやたら嬉しかった。
「相手はガルバディアガーデンやけど、アービンかて承知の上のことやん!」
 セルフィはプンプン怒っていたが、最後に、それでもアーヴァインを呼ばなかったのは、スコールなりの気遣いなんだろうね、と付け加えた。
「とにかく、着替えよっ!」
 セルフィは寮の方へ歩き始めた。だが、数歩進んだ所でくるんとアーヴァインの方を振り返る。
「あ、そうだ。前にも言うたけど、ちっちゃい頃みたいに“セフィ”って呼んでな。なんかその方がイロイロ思い出せそうやし、あたしもアービンの方が呼びやすいし」
 屈託のない笑顔でそれだけ言うと、またくるんと前を向いてセルフィは歩き出した。不意を衝いた剛速球の直撃を受けたように、アーヴァインはしばし呆然となったが、身体の冷たさにすぐに我に返った。
「わかったよ〜」
 アーヴァインは慌てふためく心臓をぐっと押さえて、セルフィの後を追いかけた。


Splash(水しぶき)のように、いつもアーヴァインの心を驚かすのはセルフィ。
ゲーム中、『幼馴染みイベント』と『ガルバディアガーデン交戦』の狭間の妄想物語でした。
作中で少し触れた、F.H.でドープ駅長のくだりですが、駅長の過去映像を見た後のアーヴァインは、非常にに気になる事を言ってますね。
戦いの中に身を置く自分と、そうではない道を選んだドープ駅長。「戦うって難しいねぇ」と言った彼は、トラビアガーデンに行くまでに、そのことについて深く考えたのではないかと思います。
(2009.01.30)

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