夏っ!

 晴れ渡った真っ青な空には大きな雲が水平線から立ち上り、海はどこまでも蒼く、高度を下げた飛空艇の窓から外を見れば太陽の光を反射して眩しく輝いていた。
「おつかれ〜」
「思ったより早かったな」
 リノアの言葉と共に開いたドアから、ゼルが真っ先に飛び降りた。
「うう〜ん 風が気持ちいい〜」
 セルフィは飛空艇から降りると、長い間狭いところに閉じ込められていたとでもいうように身体をぐぐーんと伸ばした。
「噂通りステキな所ね。この休暇は楽しめそうだわ」
「だろ〜?」
 つばの大きな白い帽子を押さえているキスティスをさりげなくエスコートしながら、アーヴァインが得意げに答えた。
「テメーんとこの屋敷(もん)じゃねーだろうが」
 すかさず後ろからサイファーの不満げな低い声が飛ぶ。
「そんな事より、荷物持って降りろよ。女の子だけにやらせるつりか?」
「大丈夫ですよ、これくらい」
「うるせーな、今からするトコだよ」
 相変わらず、すぐけんか腰になるスコールとサイファーに、少しオロオロしながら三つ編みちゃんが大きな荷物を持って最後に飛空艇から降りて来た。
「あ、ごめんね、三つ編みちゃん。荷物降ろすの手伝うね〜」
 くるんと飛空艇の方に向き直ると、セルフィは降りてきたばかりのタラップを軽快に駆け上がった。


 ティンバーの北東、ランカー平原とマンデービーチの境目付近の高台は、古くから避暑地として名高かった。少し北西に行けば美しい森とオーベール湖、反対に東へ行けばマンデービーチ、好立地のこの地には貴族の屋敷が点在していた。
 そのうちの一つがリノアの、正確にはカーウェイ家の持ち物だった。
 瀟洒だが大きな屋敷、その横には所々に木が立ち並び、刈り込まれた眩しい緑の絨毯に小川が流れる程広い庭、どこまでカーウェイ家の敷地なのかリノアも詳しくは知らない程広大であるらしかった。
 バラムはすっかり夏の暑さだが、ここは避暑地というだけあって、気温はバラムより低く、風が涼しく心地よい。普通ならそうそう来ることの出来ないこの避暑地へ、いつものメンバーが、無理矢理もぎ取った2泊3日の休暇を楽しむ為に揃ってやって来た所だった。
「改めてすごいよね〜このお屋敷。リノアってホントお嬢様だったんだよね〜、持つべきモノはお金持ちの友達だね」
「セルフィ、それ褒めてんの?」
「あ、ごめんごめん。普通に褒めてると思って〜」
 そんな軽い会話を楽しみながら、持ち込んだ荷物もなんとか屋敷に運び終えた。
「ご苦労さま、冷たい飲み物をどうぞ」
 キッチンの方を担当してくれたキスティスが、レモネードを持って来てくれた。
「さんきゅーー あ〜生き返る。高原とはいえ動くとさすがに暑いぜ〜」
 ゼルは受け取ったレモネードを一気に飲み干すと、それでもまだ犬のようにはぁはぁと舌を出して息をしていた。
「夕食までは特に用事もないし、各自好きなことをしてて。いいわよねスコール」
 キスティスはゼルに二杯目を渡しながら、窓際に立って外を見ていたスコールに返事を求めた。
「なんで俺に訊く」
 腕組みをしたまま、キスティスに向けられた額には縦皺が刻まれているように見え。
「あ、ごめんなさい、つい条件反射で」
「キスティスってばマジメすぎ〜」
 珍しく、恥ずかしげな表情をしているキスティスに、セルフィとリノアはクスクスと笑い合った。
「で、どうするよ、これから」
 二杯目も飲み終え、ガリガリと氷も綺麗に食べたゼルが問いかけた。
「私たちは、海きぼう〜」
 リノアとセルフィは腕を組み、勢いよく手を挙げた。
「俺もノッた。ここなら大物が釣れそうだ」
 意外な事にサイファーも海は好きらしい、と言ってもセルフィ達とは目的が違うようだったが。
「はんちょは?」
「別に構わない」
「え!? 行くってコトっ?!」
「悪いか」
「いやいやいや、悪くない、悪くない。みんなの方が楽しいよ〜」
 更に意外にもスコールまでも海に行くのに賛同するとは、これにはセルフィも少しばかり驚いた。
「決まりだな、んじゃ行こうぜ〜」
「じゃ行ってくるね〜」
 各々、必要な荷物を持つと、夕食担当のキスティスの三つ編みちゃんに挨拶をして、次々と屋敷を後にしていった。
「じゃ、僕も」
 少し遅れてアーヴァインも海組の後を追おうべく、ドアの方へと向かった。
「ちょいまち、アーヴァイン」
「なにかな〜? キスティ」
「あなたも食事担当でしょ」
「ダメ〜?」
「ダメよ、ちゃんと決めた事なんだから。セルフィの水着は明日でも見られるわよ、……多分」
「多分てなんだよ〜、明日見られなかったら責任はキスティが取ってくれるの〜?」
「どうして私が責任取らなきゃいけないの。まだ夏は長いんだから海に行く機会なんて幾らでもあるでしょう、さ、キリキリ働く!」
 キスティスは、容赦なく切り捨てた。
「キスティの鬼〜」
「セルフィさん、きっと夕食楽しみにしてますよ」
 三つ編みちゃんがさりげなくフォローをしてくれた。それでも、屋敷の外、段々と小さくなるセルフィの姿を恨めしげに見やりながら、アーヴァインは三つ編みちゃんに渡されたエプロンをのろのろと身に着けた。





「ね、リノアこの横ににある庭園も綺麗だよね」
 テラスで夕食楽しんでいる時、セルフィは隣に座っているリノアにそんなことを言ってきた。
 屋敷の裏側には、テラスから降りられる、ガーデンパーティが開けそうな芝生の庭と、その隣には整然とした手入れの行き届いた庭園があった。今は丁度薔薇やダリヤなどの夏の花が咲いていた。
「そうだね、本当はここ全部が庭園だったんだけど、今は手入れが行きと届かなくてあっちの半分だけになっちゃったんだ」
「そうなんだ……綺麗な庭園だけに残念だね」
 セルフィはデザートをそっと口に運びながら、夕闇に融ける庭園を眺めた。
「セフィ、ジュースは何がいい?」
「ん? あ、えと、マンゴーをちょーだい。タピオカ入り?」
「入ってるよ、セフィ好きだもんね。リノアはピンクグレープフルーツとかどう? あんまり酸っぱくならないように少しだけハチミツを入れといたよ」
「わ、ありがとう。流石だね〜、アーヴァイン」
 アーヴァインは、にこにこと「どういたしまして」と言うと、そのままセルフィの隣の椅子に腰を降ろした。
「庭園見てたの?」
「うん、綺麗だね〜って」
「だねホントに。あの庭園の奥にある家もカーウェイ家の?」
 庭園の奥にはこじんまりとした、家が一軒建っていた。物置にしては些か大きい、一般的な家族の家という印象だった。
「あれは、ここの庭師をしていた夫婦の家だったんだって。私が生まれる前にその夫婦は引っ越しちゃったんだけど、家だけはああして置いてあるんだ。子供の頃、あそこで泊まったりしたよ」
 リノアはグレープフルーツジュースを少し飲むと、懐かしそうにその家を見ていた。

 夕食の後は、広いリビングルームの一角で皆が集まり、ゲームに興じたり、おしゃべりをしたりと思い思いの時を過ごした。気が付けば時計はもう深夜を回ろうかという頃、お開きということになり、ぞろぞろと二階の各自に割り当てられた部屋と向かった。だが、女の子チームはまだしゃべり足りないのか、結局また誰かの部屋に集まろうとかいう声が聞こえた。
 次の日の朝、太陽がすっかり高くなっても、ダイニングルームには女の子は誰も現われなかったので、寝付いたのは随分遅かったのだろうと、テーブルで顔をつき合わせるはめになったヤロウ共は、無言でコーヒーをすすった。そして、互いにどことなく少し不機嫌な印象を受けたが、誰もその事をわざわざ口にしたりはしなかった。
 キスティスがダイニングに現われたのは、それからしばらくした後だった。
「流石に昨夜は、やりすぎたわ」
 アーヴァインが淹れてくれたコーヒーを受け取りながら、キスティスは僅かに柳眉を寄せていた。
「たまには、いーんじゃないのか。肩の力を抜くのには」
 朝食の乗ったプレートをキスティスの前に静かに置いたのはスコールだった。
「ありがとう」
 普段、朴念仁としての認識が高いが、たま〜にこういう事をしてくれる意外性が、何とも特別な感じがして心地良いとキスティスは思った。
 それからすぐに三つ編みちゃんが起きてきて、リノアとセルフィが起きてきたのは、更に一時間近く後のことだった。






 固い草を踏む足音がする。多分この足音は……。
「アービン、ここにいたんだ」
 太陽を僅かに背にして覗き込んできた笑顔は、それでも僕にはちょっと眩しい。
「うん、本読んでた。セフィは何してたの?」
「ゼルと一緒にクリケットやってた。でもいくら高原だって言っても、身体動かすと暑いよ〜」
 ペロッと舌を出して笑うその様子から察するに、ゼルに付き合うのが嫌になって逃げてきたのが本音かなと思う。
「ココ涼しいね。」
 確かにこの樹の下は涼しかった。ぎっしりと繁った葉は日差しを和らげ、吹く風を音でも涼しくしてくれた。一日のうち最も暑くなるこの昼下がりにこの快適さは、ちょっと誰にも譲りたくなくなる程だった。
「ちょっと昼寝しようかな」
 どうぞと自分の隣を勧めようと思ってセルフィを見たら、彼女は背伸びをするように手を額にかざして上を見上げていた。
『もしや……』
「いい枝があるよね〜、よし、あそこで寝よう」
『やっぱりか』
 本当にどうしてこう悪い予感ほど外れる事がないのか。アーヴァインはセルフィに分からないように苦笑した。
「セフィ、落っこちたら危ないよ」
「そん時はヨロシクね〜」
 言うが早いか、セルフィはもうひょいひょいと実に慣れた感じで、樹上の人となっていた。その流れるような動作を見ている内に、アーヴァインは掛ける言葉を忘れてしまった。
 結局、万が一の時の為に、アーヴァインはセルフィの下敷きになる位置に陣取って読書を続けた。だが、いつうっかりと寝返りをうったセルフィが落ちてくるかも知れないと思うと、上ばかり気になって本の内容は半分も頭の中に入って来なかった。アーヴァインの懸念は実際に起きる事はなかったが、「帰ろう」と声を掛けた時、寝ぼけてバランスを崩し落ちてきたセルフィを、何とか抱き留める事が出来たのは快挙だと、アーヴァインは思った。
「テヘヘヘ、ありがとアービン」
 この時のセルフィは、アーヴァインの忠告を聞かなかった自分が恥ずかしかったのかとても素直で、アーヴァインには可愛らしくも見えた。屋敷に戻って、夕食のテーブル囲む時までは事実そうだった。





「なんで、肝試しなん〜?」
 夕食後、広いリビングに移動して、冷たいジュースで幸せ気分に浸っていたセルフィは、わが耳を疑うような提案を聞いた。
「ふふん、サプライズだよ〜ん。学園祭の時のお流れになったでしょ? 丁度その時のことを思い出したんだよね〜、ここには良い場所もあるしね」
 リノアの話を聞いて、セルフィはアーヴァインの後ろに少し隠れるようにして、彼の服の端を握りしめた。
「サプライズなら、別のことしない? 花火とかどうかな〜?」
 楽しいこと好きのセルフィが、この手のモノだけは苦手なのを知っていたアーヴァインは、やんわりと別の提案をしてみた。だが、他のメンバーは特に反対する者もなく、あっけなく実行することが決定してしまった。
「準備はもう終わってるからね!」
 有無を言わさぬリノアのひとことで、セルフィの最後の頼み、裏方参加という道もあっさり閉ざされた。
『だいじょうぶだよ、僕がちゃんと護るから』
 他の人に聞こえない位の声で、きゅっと握ってくれた大きな手を、セルフィはちょっとだけ頼もしく思った。




 夜もすっかり更けた頃、「そろそろやろう」とゼルの一声に、リノアが説明を始めた。
 二人一組で、庭園を通りその奥の家の中に入り、各部屋のどこかに置いてある紙を、3枚集めてから、裏口を出てそこに用意してある箱に名前を書いた紙を入れて帰って来ること。各部屋に置いてある紙はそれぞれ色が違う、だから最低3色の紙を集めること、同色の物が複数枚は無効。
「別に、元の住人が謎の死を遂げたとか言う事はないから安心して。ついでに、この周辺にもそういった類の話はないからね」
 セルフィの弱点を知ってか知らずか、リノアは最後にそう付け加えたが、セルフィにしてみれば、完全に安心とはいかなかった。背景はどうであれ、苦手なものは苦手。「安心して」と言われても、自分でどうにか出来るものでもなかった。



 セルフィの希望とは逆に、時間は無情にも止まることなく進み、肝試しは始まってしまった。既に、セルフィとアーヴァインの組以外は、屋敷の中にはもういない。
「5分経ったね、出発しようか」
 アーヴァインの声に、セルフィは彼の腕をぎゅっと握りしめた。
 ロウソクを明かりとして渡されたが、夜空に浮かぶ月は満ちていて、外を歩くには十分な光を放っていた。更に通り道となった庭園は、柔らかな月の光に照らされて咲く花々が幻想的で美しかった。夜露に濡れて一層白さの際立つダリヤ、薄い色の薔薇は今はその形の美しさよりも、濃厚な芳香で近づく者を誘うように酔わせた。時折そよぐ風に揺れる小花もまた、妖精のダンスのようで可愛らしかった。
 お陰でセルフィは、怖さなど感じる事なく、庭園の散策を楽しんだ。目的の家に着くまでは……。
「イヤなら、ここでやめとく? 無理しなくてもいいよ、セフィ」
 家の玄関に辿り着いた時、アーヴァインは優しくセルフィに語りかけた。
「うん、でも。リノアの話だと大丈夫だと思うから。いいよ、入ろう」
 アーヴァインを見上げて、セルフィはきっぱりと言った。
「でも……手は離さんといてな」
「うん、絶対離さないよ」
 火の灯ったロウソクの乗る小さな燭台をセルフィに渡すと、アーヴァインは柔らかく微笑んだ。

 木のドアを開けると、湿気とカビが混ざったような臭いが鼻をついた。
 さっきまでの幻想的で美しい光景とはまるで正反対の、陰鬱とした空気が二人を包む。別に変な出来事など何も起こっていないとは言われても、長年住む人もおらず半ば放置された家屋というものは、それだけで好からぬ雰囲気を漂わせるものだ。この家も例に漏れず、視界の上からはあちこち蜘蛛の巣が垂れ、床板の立て付けはゆるみ、歩くとギシと嫌な音を立てた。白くほこった床には確かに自分達の他にも、ここに足を踏み入れた人間がいるという事を示し、それだけが僅かながら安堵を与えた。
「右の部屋と左の部屋、どっちに入ろうか」
 左右に並ぶドアの前で、アーヴァインはセルフィに訊いた。



【左の部屋へ入る】     【右の部屋へ入る】



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