青い苺、甘い苺

 バラムの空は綺麗な蒼色をしていた。
 これからの季節、バラムの蒼はもっと美しくなる。括った髪とうなじの隙間を通って行った風も、冬の冷たさとは違う。
 アーヴァインは、眩しげに仰ぎ見た空から視線をぐるりと移動させ、今立っている門のずっと奥にあるカードリーダーの方を見た。そろそろ約束の時間になる。じきに息を切らせながら彼女が走って来るだろう。そして、今思った通り、カードリーダーの所で、ゲートが開くのももどかしそうに、外はねの髪を柔らかく揺らしながら走って来る少女の姿が見えた。
「ごめんなさい、アービン、遅れちゃって」
 少女はアーヴァインの所まで来ると、肩で大きく息をしながら、待たせたことを真っ先に詫びた。
「時間通りだよ、セフィ」
 別にセルフィは約束の時間に遅れたりしていない、もとよりアーヴァインは待つ時間など気にしない。それよりも久し振りに二人で出掛けられることの方が嬉しかった。
「あれ、バイク?」
「うん、イヤだった?」
「そんな事ないよ、大丈夫」
「大丈夫?!」
「あっ、うん。ちょっと髪をね、頑張ったから」
 そう言われれば、セルフィにしては珍しく凝った髪型にしていた。何ヶ所かシニヨンを作って、可愛らしいピンで留めてある。
「ごめん、車にしようか?」
「大丈夫だよ、ホントに。ね、行こうよ。折角のデートなんだし」
「了解〜」
 アーヴァインは、セルフィの言った微妙なニュアンスから、彼女も楽しみにしていたんだというのが分かり、それが嬉しくて、髪のことなど直ぐに霧散してしまった。


 バイクで受ける風は、まだ早春らしく少し肌寒い。それでも、セルフィの腕はギュッとしがみつくように腰に回され、身体は程良く密着していて、何だか温かかった。バラムの街までの距離が、もっとたっぷりあれば良いのにな〜、とアーヴァインが思う位に。
「寒くなかった?」
 バイクを駐車場に止めてアーヴァインは、自分よりも細く白い手が、器用にヘルメットの金具を外している様を見ながら言った。
「ううん、ぎゅ〜ってくっついてたから、寒くなかったよ」
 思ったより身体に受ける風は冷たかった。ひょっとしたらやっぱり車にした方が良かったんじゃないかと、アーヴァインは思っていたので、にこにこと笑って言ったセルフィにホッとした。
「アービン、行きたいお店があるんだけどいい?」
 セルフィは、脱いだヘルメットをアーヴァインに渡して、押さえつけられていた髪を軽く手で直す。
「いいよ〜、今日もパーツのお店?」
 セルフィが自分から行きたい所があると言う時は、大抵メカニック系のお店が多いのを思い出し、アーヴァインはクスッと笑った。
「え!? 違うよ、洋服とかアクセとかのお店」
「あ、そうなんだ」
「なんか変?」
 アーヴァインが意外だとでも言うような顔をしたのが気になったのか、セルフィはちょっと困惑しているようだった。
「そんなことないよ、僕はセフィの行きたい所ならどこでも付き合うよ」
 そう言って笑うとアーヴァインは、セルフィに手を差し伸べた。




「たくさん買ったね、セフィ」
 大きめのショッピングバッグ2つ分程、セルフィは洋服を買い込んだ。
「うん、春物と夏物の新作も少しね」
 後ろを歩くアーヴァインの方を、軽くステップを踏むようくるりと振り返って、セルフィは本当に楽しそうに笑った。
「洋服の好みちょっと変ったね」
「そうかな?」
「うん、変ったよ。いつものようなスポーティな感じもセフィにはよく似合うと思うけど、今日買った服みたいな、フェミニンな感じもきっと似合うと思うよ〜」
「そう言って貰えて嬉しいな。あたしは、チビで女らしくないし、美人でもないし、大した取り柄もないし、こんな体型だし、せめて服くらいはね、女の子らしくしたいな〜って」
「はあ〜?」
 アーヴァインはすっとんきょうな声を上げて、その場に立ち尽くした。アーヴァインの声と、足音が止まってしまったのが気になり、セルフィが振り向くと、アーヴァインは思いっきり首を傾げていた。
「セフィ、いつからそんな風に思ってたの!?」
「いつからって……えと、ずっと前から」
 セルフィは慌てた。そんな質問をされるとは全く思っていなかった。ちょっとコンプレックスのある女の子なら、誰しも思うようなことだと思った。男の人にはそんな心理分からないのかも知れないけど。
「え〜 ホントに?! セフィ、そんなこと思ってたの?」
「うん、変かな。女の子なら誰でも思ってることだよ?」
「そうなの? 僕には、ちょっと卑屈な考え方のように思えるけどな〜。セフィはそんな風に思うタイプじゃないと思ってた。見た目とか何より、自分に誇りを持ってる、いつも前向きな女の子だと思ってた。だから今の発言はかなりびっくりだよ」
 形の良い眉を僅かにひそめたアーヴァインの言葉に、セルフィは何だか責められているような気分になった。自分の生きてきた今までを否定されたような。そんなに卑屈な考え方だったんだろうか。今までだってずっとそう思って来たし、女の子の友達は誰も否定しなかった。何より事実を言ったまでだ。
「ごめんね、つい言い過ぎちゃった」
 いつの間にか、アーヴァインはセルフィの直ぐ横に立ち、俯いてしまった彼女の顔を、背を折るようにしてすまなそうに覗き込んでいた。セルフィがゆっくりと顔を動かし視線が合うと、アーヴァインは小さく微笑んだ。
「ご飯食べに行こうよ」
 セルフィはアーヴァインの笑顔と言葉に気持ちを切り替えて、くいっと差し出された腕に、そっと手を絡めた。
 緩やかな石畳の坂道をゆっくりとした歩調で歩く。多分アーヴァインは、わざと歩調を自分に合わせてくれているんだと思う、どれだけの人が知っているのかは知らないが、こういう所がアーヴァインを好きな理由の一つ。そして、今日一日を楽しむと決めたんだ。こんな事で無駄にしてはいけない。零れそうになった涙をぐっと堪えて、セルフィはアーヴァインの隣を並んで歩いた。




「美味しかった?」
「うん、とっても!」
 どの料理も美味しかった。バラムと言えばシーフードだけれど、それ以外の料理も実に美味しいお店だった。特にデザートが種類豊富で、どれも食べてみたくて、セルフィは目移りして困った。
「ちょっと、ブルーベリーパイも食べてみたかったんだけど、今日は我慢」
 アイスティーをごくんと飲んで、セルフィは大きく息をした。
「食べればいいのに、好きでしょ? デザート」
「う〜ん、でもカロリーオーバーだから」
「え!? セフィ、ダイエットでもしてるの?」
「あ、うん、ちょっとだけね」
 またアーヴァインは驚いた顔をしてセルフィを見ていた。さっきと違って、それ以上何も言いはしなかったが。

「そろそろ出ようか」
「うん」
 食事をした店を出て、また緩やかな坂道を駐車場へと、二人並んで歩いた。
 芽吹き始めた街路樹の新緑が綺麗だ。バラムの街へは時々来るけれど、こうやって好きな人と一緒に歩くと、何だか見慣れた景色が普段と違って見えたりするから不思議。会話こそしていないが、こうやって手を繋いで歩いていることが、今のセルフィにはとても心躍ることだった。
 やがて大きな通りの角を曲がり、人通りの少ない道に差し掛かった所で、更に歩調はゆっくりになった。普段ならアーヴァインもセルフィも陽気に会話を交わしながら歩く。けれど今は、どちらも黙ったままで、高さの違う靴音だけが耳に届いていた。そしてセルフィには、自分よりずっと高い位置にあるアーヴァインの顔が、どんな表情で自分のことを見ているのかも、全く気が付いていなかった。

 急に背後の海の方から、強い風が吹き上げて来た。
「きゃっ」
 慌てて、セルフィは両手で髪を押さえる。アーヴァインが、大丈夫? というような目でセルフィを見て、溜息をつくように息を吐き、ゆっくりと目を閉じ、そして開いた。

「ね、セフィ。……君は誰かな?」

「え!?」
 今度はセルフィが驚く番だった。
「君、セルフィじゃないよね? 外見はどう見てもセルフィ・ティルミットだけど」
 セルフィは、その言葉に立ち竦んでしまった。
「そんなことあらへん、あたしは、あたしや!」
 セルフィは精一杯声を張った。
「じゃあ、この前、ダイエットしないって言ったのに、どうして今日はダイエットしてるって言ったの?」
「それは、急に気が変って……」
「あの場所で言ったことはウソ?」
「あの場所って?」
「……食堂で、ダイエットしないって言ったよね?」
「だから、あの時とは気が変ったの!」
 セルフィがそう言った時、アーヴァインはまた小さく息を吐いて、悲しげな笑みを浮かべた。
「やっぱり…………。君がダイエットをしないって言ったのは食堂じゃないよ、ここではちょっと言えないようなトコ」
 セルフィは、カマを掛けられたことに直ぐ気が付いた。そして、何故だかは分からないが、妙な安堵感も覚えた。小さく震える指先と心を宥めるように、胸の所でぐっと握り深呼吸をしてから、アーヴァインの方に向き直る。
「ごめんなさい、私はセルフィ先輩じゃありません。ごめんなさい」
 言うと同時、勢いよく頭を下げた。

「名前、訊いてもいい?」
 頭を下げたまま動かない少女に、アーヴァインは優しく声をかけた。
「…エイレン……です」
 微かな涙声でそう聞こえた。
「エイレン、理由を問い詰めたり、どうやってその姿になったのかとか、君を責めたりとかするつもりはないから、顔を上げて」
 そう言うと、エイレンは頬を伝った涙を拭いながら、ゆっくりと顔を上げた。その顔はどこをどう見ても、セルフィそのものであって、アーヴァインはセルフィを泣かせてしまったような罪悪感を感じた。
「ごめんなさい」
 そして、セルフィと同じ声の謝罪の言葉に、胸が痛くなる。
「もういいよ。一つだけ、忠告するね。さっきみたいに自分の事卑下しちゃダメだよ」
「でも、本当の事です」
 エイレンは、くっと顔を上げてアーヴァインを真っ直ぐに見た。
「それは君が、そう思い込んでるだけだと思うよ。そんな風に思っていると、どんどんつまらない人間になっちゃうよ」
「でも……」
「僕はセフィが、セフィだから好きになったんであって、人より優れた所があるからとか、そんな理由で好きになったんじゃないよ。ありのままの彼女が好きなんだ。だからね、君もそうだよ。表面的な部分だけで好きになって貰えたとしても、それは真実の好意じゃないよ」
「そうでしょうか」
 エイレンの涙はいつしか止まり、真摯な瞳でアーヴァインを見上げていた。
「少なくとも僕はそうだと思ってる。ありのままの自分を受け入れて、そこから自分を磨いていけば、きっと素敵な人になれるよ。僕の言ってること変かな?」
 ゆっくりと優しい声音で語るアーヴァインに、エイレンは小さく横に首を振った。
「いいえ、その通りだと思います」
 それは自分とは反対の考え方だったけれど、優しく語る声はエイレンの心にするりと滑り込んだ。
 今、漸く分かった。この人に憧れた理由、好きになった理由。確かに、最初はその整った顔立ちに惹かれた、優しい笑顔にも。けれど、ガーデンで何度も垣間見たその行動や言葉にとても惹かれた。
 ―――― なんだ、自分だって、ちゃんと内側を見ることが出来ていたんだ。それを、この人は気が付かせてくれた。ああ、やっぱり素敵な人だと思う。
 エイレンは改めてアーヴァインの顔を仰ぎ見た。大好きな優しい瞳と目が合った。

「今度は、エイレンとして会える事を楽しみにしているよ。そろそろガーデンに帰ろうか」
 アーヴァインは、柔和な笑顔をエイレンに向けると、すっと手を差し伸べた。
「いいえ、正体がバレてしまった以上、一人で帰ります」
「でも、荷物だってあるし一緒に帰ろうよ」
 アーヴァインの言葉に、エイレンはちょっと眉根をよせて、小さく溜息をついた。
「本当にキニアス先輩って、キニアス先輩ですよね」
「え、なんで、どういうこと?!」
「基本、誰にでも優しいっていうか、多分深い意味は全然ないんでしょうけど、優しくされた側としてはちょっと期待しちゃうんですよね。自分勝手なんですけどね、セルフィ先輩がいるのだって、ちゃんと分かってるんですよ、でも……」
 エイレンはまた泣きそうになったのを、懸命に笑顔に換えていた。
 アーヴァインはどう答えればいいのか考え倦ねた。自分としては、誤解されるような言動はずっと避けてきたつもりだ、セルフィに片想いをしていた時から。だから、今のような発言は、純粋に人としての礼儀の部分だと思っている。そして間違っているとは思っていない。現に、F.H.で決心をして以降、女の子から告白をされたことはないし、こんな経験は初めての事だった。
 では、何故エイレンはこんな行動を取ってしまったんだろう。セルフィの存在だって、きちんと分かっていると言うのに……。

「ただ、ちょっとセルフィ先輩が羨ましくて、少しの間だけでもキニアス先輩の近くにいられたらな〜って思っちゃったんです。それだけで、今日一日終わるはずだったんです。本当にごめんなさい」
 アーヴァインが何か言う前に、エイレンはもう一度深々と頭を下げた。
 ここに至って、やっとアーヴァインも理解する事が出来た。
 自分が間違っていたとかじゃなくて、好きだから苦しくて、どうしようもなく突き動かされてしまうことがある。悪いことだと分かっていても、止めることが出来ない。自分にも、身に憶えのある行為だった。確かにエイレンの行動は、責められてしかるべきだが、その心情は理解出来る。それに謝罪の言葉は、本心からだとも思う。根は悪い子じゃない。
「今日のことは、もう水に流そうよ。僕はこう見えても、けっこう懐のデカい男だよ、あと都合の悪いことに関してはすごく忘れっぽいんだよ〜」
 ほんのちょっとのウソもあったが、アーヴァインはどーんと胸を張って、おどけて見せた。
「ありがとうございます。やっぱりキニアス先輩は、キニアス先輩ですね」
「それって褒められてると思っていいの〜?」
「はい、私の最大限の褒め言葉です」
 アーヴァインにつられるように、エイレンも笑顔になっていた。
「う〜ん、じゃ素直に受け取っておくよ」
「あ、セルフィ先輩は大丈夫ですよ、危ない目とかには遭ってません。ちょっと、急なお願い事しちゃいましたけど。それと、チビだとか美人じゃないとか言ったのは、セルフィ先輩のことじゃありません。あれは思わず自分のことを言っちゃいました。セルフィ先輩はステキな人です、本当にそう思ってます」
「うん、分かったよ」
「では、私はこれで失礼します。本当にすみませんでした」
 エイレンはそう言って、もう一度頭を下げた。そして、アーヴァインの手からショッピングバッグをさっと受け取り、くるりと身体を反転させて走って行ってしまった。身体を反転させたと同時に、髪の色が幾分濃く長くなったように見えた。その姿が見えなくなるまで待ってから、アーヴァインは再び歩き始めた。一人になると何だか急に寂しくなり、温かい声を聞く為に携帯電話をパチンと開いた。
「セフィ、なんか食べたいデザートとかある?」






「おかえりーーー! デザート!」
 ガーデンの駐車場にバイクを止め、建物内への通路を曲がろうとした時、聞き慣れた元気な声がした。それと、同時に脱力する。
「セフィ、僕よりデザートが大事なのっ!?」
「そんなことないけど、何か急に資料作り手伝わされるはめになっちゃって、疲れてんの〜」
 口では否定していたが視線はどう見ても、アーヴァインの持っている箱に釘付けだった。その行動パターンを嫌と言うほど知り尽くしているアーヴァインは、スッと箱を後ろに隠した。そうすると、不満げな顔をして、セルフィはアーヴァインを見上げて、頂戴とでも言うように両手をぐいっと伸ばしてくる。その予想を裏切らない行動に、アーヴァインは苦笑しつつも、今日は簡単に彼女の思い通りにしてあげるつもりは無かった。
「じゃあ、証明してくれないかな〜」
「分かった。好き好き大好き〜、デザートが」
 やたら素直に返事をしたと思ったが、その先はやはりセルフィだった。
「セフィ〜」
「あ〜っと、好き好き大好き、アービンが」
 アーヴァインの表情がガラリと変ったのに、セルフィは焦ったのか、慌てて言い直した。
「何そのテキトーな言い方。そんなんじゃ、コレはあげないよ〜」
「ええ〜」
 セルフィはまたも焦った。いつもはこれだけ言えば、「しょうがないな〜」と笑ってくれるのに、今日はまだ納得してくれない。テキトーとか言われても、これ以上は無理というか、こんなトコで恥ずかしすぎる。
「ちゃんと感情込めて言ってくれないとあげない」
「うぐっ」
 箱をくいんとセルフィの届かない所まで持ち上げて、アーヴァインはセルフィをじっと見下ろしていた。
「す……す…」
「す?」
 なかなかその先を言わないセルフィの顔を、綺麗な青紫の瞳はずいと覗き込んだ。その瞳に自分の姿が映っているのに気が付き、セルフィは妙に気恥ずかしくなり、居たたまれなくなった。
「もういい! サイファーに頼んでバラムまで行って貰う!」
 自分でも訳の分からないことを口走り、くるんと向きを変えるとセルフィは駆けだした。
「ちょっ、ちょっと待ってセフィ〜」




 中庭のベンチに座ってチラッと隣を見ると、実に美味しそうに、フルーツタルトを頬張っている顔が見えた。その表情は、本当に幸せそうだ。セルフィのそういう顔を見るのは大好きだが、アーヴァインはどうにも素直に喜べないでいた。さっきみたいなやり取りは、日常茶飯事というか、もうごく普通の事だ。だが、改めてそう思って流してしまうのも酷く悲しい。更に、昼間の出来事を知らないセルフィに、一方的に湧いてくる感情もあった。
「セフィさ〜、自分の見た目とか気にする?」
「ん〜 気にならないって言ったらウソだけど、自分じゃどうしようもない部分もあるしね〜。両親から貰ったものだもん、愛着はあるよ」
 セルフィは二口目を頬張る所だった。
「取り柄とかあると思う?」
「ん〜 取り柄っていうのとは違うかもだけど、大好きでちょっと自慢出来ることはあるかな〜」
 最後の一欠片をポイッと放り込み、セルフィはまた幸せそうに笑った。その様とセルフィの答えに、アーヴァインもちょっと幸せになった。
「セフィはダイエットとかしないよね?」
 セルフィは二つめのフルーツタルトに手を伸ばしていた。
「うん、しないよ〜。身体だって一応は鍛えてるし、変に体重落ちても困るもん。なにより美味しい物は我慢しない主義。この前言ったじゃん〜」
 タルトをひょいと目の高さまで持ち上げ、セルフィは唇をペロッと舐めて嬉しそうに笑った。が、口には運ばず、ふいに横を向いてしまった。アーヴァインは、直ぐに食べないのを不思議に思い、身体を伸ばしてセルフィの方を覗き込んだ。
 夕闇の迫る中庭の、ベンチの近くに立っているライトに照らされた顔は、後ろからは伺い知る事は出来ない。けれど、耳の辺りが赤くなっているのは分かった。何故? と心に疑問符が浮かんだが、程なく答えは見つかった。多分、言った時のシチュエーションを思い出したんだと、アーヴァインは思った。理由が思い当たると、そんなセルフィが可愛くて堪らなくなった。
「セフィ、こっち向いてよ」
「…………」
 やっぱりというか、簡単には動かない。セルフィはその行動が、アーヴァインの推測は正しいのだと暗に示していることに気が付かない。
「セフィ、クリーム、ついてるよ」
「え? どこ?」
「ここ…」
 反射的に振り向いたセルフィに気が付かれる前に、アーヴァインは口づけた。
 甘い香りと味が口の中に広がる。タルトの甘さなのか、セルフィの甘さなのかは分からないが、いつまでも味わっていたいと思うような甘さだった。

「もう暗いし、残りは部屋に戻って食べようよ」
「う、うん。そうだね」
 今日のセルフィは素直だった、まだ頬も耳もタルトに乗っていたラズベリーのような色だったけれど。
 二人が建物の中に入ってから直ぐ、中庭の外灯がおやすみを言うようにゆっくりと光を落していった。

2008年エイプリルフール企画作品。

アービンて、セルフィにはもちろんだけど、誰に対しても同じように優しくて思い遣りがあるんじゃないかな〜。だけど、セルフィと二人きりの時は、結構わがままなんじゃないかなと思う。待たされた時間長かったもんね、仕方ないよね。
この話は冒頭、セルフィの第一声から違和感を感じるような台詞になっています。気づかれた方、すご!
再アップに伴い、加筆修正しました。
(初出 2008.04.01 再アップ 2008.09.01)

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