今夜君を離せない

 構えの姿勢を取り、上段から目に見えぬ程の速さで繰り出された剣を、寸での所で揃えて持った両節棍で受け止めると、反動を利用してくるりと身体を回転させ、鎖で繋がった片方の棍を相手の脇へと打ち込んだ。だが、相手はいとも簡単ににかわし、今度はこちらの下肢めがけて横から撫でるように剣を振り入れられた。後方への跳躍でそれを避け、着地するやいなや前に踏み込み揃えた棍を相手の腹へと打ち込む。
 一定のリズムを持っているかのように交わされる技と技、正確に確実に繰り出され、また受ける様は、華麗で美しくもある。武闘と言うより舞踏といった方が良いかも知れない。


 やがて、一礼を以て華麗なる武闘は終了した。
「嬢や、腕を上げたな」
 小柄で白髪交じりの髭を蓄えた、初老とは思えなぬ程、見事な筋骨を備えた人物が、満足げな笑みを浮かべて、セルフィを見ていた。
「いいえ、師匠(せんせい)、私はまだまだ未熟者です」
 肩で大きく息をし、頬から流れ落ちる汗を手で拭いながら、セルフィは答えた。
「どうじゃ、まだここで教える気にはならんか?」
 手合わせの最中でも息も乱れていなければ、汗も殆どかいていない師は、飄々と言う。
「はい……まだ――」
「そうか、残念じゃのう。嬢やが引き継いでくれれば、この老いぼれはさっさと引退出来るんじゃがのぅ」
「何言ってるんですか師匠、六十才のどこが老いぼれなんです! 百才を超えられたら私も考えます」
「冷たいのう嬢やは、そんな事言うとると“彼氏”に嫌われるぞぃ」
「何で知ってるんですか! そんな事!!」
 久し振りに師匠と手合わせをし、身体を動かした後の心地良い疲労感に浸っていたのに、セルフィをずもーんと重たい疲れが襲った。
「ほれ! あそこの坊が言うとったぞぃ」
 皺の刻まれた指で示された先には、目を疑う姿があった。
「あ、アアアアアア」
 セルフィは驚きの余り、口がバカになった。
 師匠は、「嬢や、落ち着け」とセルフィの背中をポンポンと軽く叩いてくれた。セルフィは、一度深呼吸をして、大きく息を吸い込んだ。
「アービンッ なんでここにおるのーーー!!」
 その、武術室全体を振るわせるような声に、そこで鍛錬をしていた者全てが一斉に、まるでブレイクを掛けられたように動きを止めた。その中で、一際背の高いある人物が「あちゃー」という顔で師匠とセルフィの方を見て、苦笑いしている。セルフィは肩をいからせドスドスと大股でその人物目掛けて歩いていった。
「やあ〜、セフィ〜」
 冷や汗とも稽古の汗ともつかぬモノを流しながら、アーヴァインは引きつり顔で挨拶をする。
「アービン、師匠に何言うたん! て言うか、何でここにおんねん! 武術は専門外やろ」
 大勢が稽古をしている前で、大声を出してしまった気恥ずかしさと怒りを、全てアーヴァインに向けて発散したかのような口調だった。
「いや、だから …あの…」
 セルフィの剣幕にアーヴァインはしどろもどろになった。
「嬢や、まぁまぁそう怒らんと。坊は、確かに武術は専攻じゃないが、これから先身に付けておく必要があると思うて、武術を学びに来たんじゃ」
 気配も感じさせず、師匠はいつの間にか二人の傍に立っていた。アーヴァインは別として興奮冷めやらぬセルフィには、例え師匠がスキップをしながら近づいていたとしても、気づきはしなかっただろうが。
「そうなん?」
 セルフィは師匠の言葉に漸く落ち着きを取り戻し、アーヴァインに訊いてみた。
「うん、まあね。今後の任務で近接戦闘になったりとか、乱闘になる事もあるだろうし、銃だけでってのは難しいし、本格的に武術も学んだ方がいい思って。元々、興味はあったんだよ。機会があれば学んでみたいと思ってた」
 まだ、僅かに疑いの目を向けているセルフィに、アーヴァインはとつとつと話した。
「ま、そう言う訳じゃ、嬢やこれからは坊の指導をしてやったらどうじゃ?」
 師匠は、そう言うとふぉふぉふぉと笑いながら、その場を後にした。
「それだけは、嫌ですーー!!」
 スキップしながら去っていく師匠の背中に、セルフィは思いっきり抗議した。
「え〜、教えてくれないの〜」
 不満の声を露わにするアーヴァインをセルフィはキッと睨んだ。
「教えへん! アービンの教官はあっち!!」
 これ以上、セルフィを怒らせるのは避けたかったので、アーヴァインは渋々元の教官の教えを受ける事にした。
「じゃ、また後でね〜」
 と手を振って、稽古に戻っていくアーヴァインの、稽古着の前の合わせが少しはだけ、隆起した胸板の上を汗が一筋流れる様が艶めかしくて、頭がグラリとなりそうだったのを、セルフィは必死で気が付かない振りをして、手で「はよ、戻り」と合図した。

「アービンが武術か〜」
 何事も無かったかのように、いつもの稽古風景に戻った室内。直ぐにシャワーを浴びに行こうかと思ったが、アーヴァインの実力にも純粋に興味があったので、隅から少し見学する事にした。
『お手並み拝見 』
 教官が行った型に続いて、同じ型を取る。アーヴァインは初心者としては見事と言える様で、一つ一つの型を砂に水が染み込むように吸収し、また披露していた。
『うわ、筋ええやん 』
 セルフィとアーヴァインの間には、結構な距離があったが、アーヴァインが型を決める度見えるはずのない、汗が眩しく散っているように見え、本能的にこれ以上見ているとヤバイと脳が判断しセルフィはロッカールームへ向かった。


 ふぅー。熱いシャワーを浴びながら、セルフィは一つ溜息をついた。
『雑念を払う為に、今日は稽古に出たのにな〜。何か逆効果やん……』
 セルフィはここ一週間程モヤモヤとしていた。この前、久し振りアーヴァインと一緒に過ごした時、自分は彼に何かとんでもない事を言ったような気がするのだ。その内容がどうしても思い出せない。この前会ったときは、アーヴァインが任務の帰りにお土産を買って来てくれて、それをアーヴァインの部屋で食べた。食べたのは憶えている、でもその次の記憶は、アーヴァインのベッドの上。別に何かあった訳では無く、ただ単に数時間そこで眠ってしまっただけらしい。らしいと言うのは、アーヴァインがそう言ったからだった。自分も、アーヴァインが嘘をついているとは思っていなかった。
「にしても、お土産って何だったっけ。食べてる途中で、アービンに何か言った感じは憶えてるんだよね……」
 ただ何を言ったのかが思い出せないで、セルフィは悶々としていた。
「うーん、もうちょっとで思い出せそうな気はする」
 シャワーの栓をキュッと閉めて、セルフィは呟いた。



「やっぱり身体を動かすと気持ちいいー」
 今日も外は良い天気だ、大きく伸びをしながらセルフィは、通路を寮に向かっていた。
「リノアんトコ寄って帰ろう」
 リノアから映画のビデオディスクを借りる約束をしていた。次のオフにはアーヴァインと一緒にそれを観ようという事になっていた。世界的に有名な冒険ファンタジー物。大まかなストーリーを聞くと、どこかこの世界にも通じるようなものを感じたのと、空想物語はアクション物の次に好きなジャンルなのでそれを借りる事にしたのだった。リノアは更に「物語はどっちかって言うと、大河って感じで漢っぽいんだけど、そんな中でね王様とお姫様の種族を超えた愛がまたいいのよ〜」という事も、ほやんと夢見るような瞳で何度も言われた。
 リノアからディスクを受け取り、自分の部屋までもうすぐという所まで来た頃、すれ違った二人の女生徒の会話が耳に入って来た。
「美味しかったよー、勧めてくれたお店のパイ」
「でしょでしょー、今度一緒に行こうよ」
「うんうん」

 何かが引っ掛かって、セルフィの足が止まった。
『……パイ? あれ? どっかで――』
 ハッとした。パァーッと視界が開けるようにあの時の光景が蘇る。そう、アーヴァインが買ってきてくれたのはパイだった。彼を待っている間少し食べてしまった。それはとても美味しくて――。でもアーヴァインは中々帰って来ず、ヤケになってぱくぱく食べてしまった。そして、アーヴァインが帰って来て………。
『いやーーーっ!!』
 声にならない声を上げ、ものすごい勢いでセルフィは自室に飛び込んだ。
 部屋に入るなり身体の力が抜けて、ぺたんとその場に座り込むと、その後ドアにもたれてゆっくりと天井を見上げた。
 思い出した。
 あの時アーヴァインに言った言葉と、した事を。キスをせがみ、更にそれ以上の事もあの時の自分は望んでいた。あれから幾度もアーヴァインと顔を合わせ、その度に普通の態度で普通に会話をしていた事を思うと、顔から火が出そうな位恥ずかしかった。何だか頭がグラグラする、部屋の空気も暑い。
 セルフィは、ベッドルームの窓を開け、倒れるようにベッドに突っ伏した。明日どんな顔をしてアーヴァインに会えばいいのか。
『どうしよう、どうしよう、どうしよう……あう〜ん、アービン…』
 グルグルとした思考はいつの間にか、眠りの中へとセルフィを誘った。



※-※-※



「さむっ」
 身体に寒さを覚え、ぶるっと身震いをしてセルフィは目が覚めた。どうやらあのまま寝てしまったらしい。部屋が結構明るい事からもう朝になっているようだった。ふわっと冷たい空気がベッドの上に転がっているセルフィの肌身を撫でていく。何故部屋の中を冷たい空気が流れているのか不思議に思い、頭を巡らせてみた。カーテンが僅かに揺らめいている、そこで漸く昨日窓を開けてそのままベッドに突っ伏した事を思いだした。
 道理で寒いはずだった、窓は開けっ放し、上掛けもかけずに一晩。風邪でも引いたら洒落にならないな〜と思いながら、セルフィは身体を起こした。少し頭が重い。おそらく、昨夜色々考えた所為だろうと思った。
 アーヴァインとの約束までにはまだ時間があったので、ホットミルクでも飲んで身体を温めてゆっくりする事にした。
「ふぅー、温まる〜」
 ほんの少しハチミツを入れたホットミルクとお気に入りのクラッカーに胃が満たされ、身体も温まった。
「うーん、やっぱ今日はキャンセルしようかな〜、アービン怒るかな〜」
 椅子の上に膝を立てて座り、その上に顎を乗せてセルフィは小さく呟いた。アーヴァインに会いたくない訳じゃない、でも顔を合わせづらいのが正直な今の気分。
「はう〜ん」
 また、思考の渦に陥りそうになった。立てた膝に顔を埋め、溜息と共に横を向いてみる。ふとテーブルの上の携帯電話が視界に入った。何とはなしにそれを取ると、“メールあり”の文字がサブディスプレィをゆっくりとスクロールしていた。
「誰かな……」
 二つ折りの携帯をぱこんと開いて、ポチポチとボタンを押す。受信メール6通、アーヴァインから4通、ゼルから2通。ゼルのは誤送信が1通とそれを謝る内容の物が1通。アーヴァインからは、ほとんど一行程度の内容で、『明日の夕食何がいい〜?』から始まって『セフィいないの〜?』等々、最後のは『おやすみ〜』だった。
「う〜ん、これでキャンセルしたら、やっぱ………だよね」
 楽しみにしているであろうアーヴァインに悪くて、セルフィは予定通り行く事にし、彼におはようのメールを打った。
「一応、お泊まりセット、持って行こうかなあ。あの時ベッドで目が覚めたって事は、そこまでいったって事……だよね…多分」
 気になるのはその一点。今までに何度かアーヴァインのベッドで眠った事はある。けれどそれは、アーヴァインの匂いに包まれて眠ると、何だか気持ち良くて安心して眠れるので、大抵セルフィが強引に「眠らせて」と言って使わせて貰っただけで、二人で一緒に眠った事はない。かと言ってそういう事に興味がない訳でもない。アーヴァインの事は好きだ、大好きだ。彼が望んでくれるのなら応えたいと思う。彼に触れてみたいとも思っている。ただ、そういう雰囲気になると、勇気が出なかったというか、自分が変わってしまうようで、未知なる事への小さな恐怖の方が勝っていて、いつもするりとはぐらかしてしまっていた。

「ん、なんかまた寒っ」
 ホットミルクで温まったはずの身体がまた冷えてしまったのか、セルフィは熱いシャワーを浴びてから出かける事にした。



 リノアに借りた映画のディスクと、一応泊まりも想定した一式を持って、アーヴァインの部屋のインターフォンを押す。直ぐにドアは開き「やあ、セフィ待ってたよ〜」と、満面の笑みで迎え入れてくれた。その嬉しそうなアーヴァインの顔を見ると、つい自分もほわんと温かい気持ちになるな〜と、セルフィはぼんやり思った。
「今日は、ホットココアとかどう?」
 いつの間にか間近にいたアーヴァインに、顔を覗き込むように訊かれた。今日は確かに温かいものが飲みたかった。何でアーヴァインは、自分の望んでいる物をいつも当ててしまうんだろう、魔法とかジャンクションしてないよねと思いながら「うん」と答えると、「了解〜」と笑って、アーヴァインはキッチンへ消えた。
 一言二言、言葉を交わして、セルフィは居間に移動しディスクをプレイヤーにセットして、ソファに座りアーヴァインを待った。程なくしてココアとコーヒーとポップコーンを乗せたトレイを持ってアーヴァインが帰ってきた。
「今日の映画ってどんなの?」
 セルフィの隣に腰を降ろし、ホットココアを渡しながら言う。
「こわ〜い、スプラッタ物」
「マジっ?!」
 アーヴァインは軽く引き、口の端をヒクヒクさせた。
「うそうそ、空想冒険大河物語」
 その様が可愛くて、セルフィはちょっと笑ってしまった。
「笑わないでよ、僕がそういうの苦手だって知っててやったでしょ〜」
「ごめんごめーん、ねっ機嫌直して、観よっ」
 少しふて腐れ気味のアーヴァインを宥めて、セルフィはリモコンのスタートボタンを押した。



「うわー、凄かったー、ホビット庄の緑すんごい綺麗、エルフってどんだけ美形揃い!? ドワーフの地下宮殿もすごい、終盤のオークとの戦いなんか身震いしたよ。どうなるのコレ、てか終わってないよどうなってんの?!」
 興奮冷めやらぬといった感じで、アーヴァインが早口に捲したてた。
「うーんとね、三部作なんだって、これは第一部」
「続き早く観たいよ、セフィ!」
「いいけど、全部一気に観るとあと8時間位掛かるよ」
「はうっ、マジ?! でも観たいな〜」
「取り敢えず、第二部を観てからにする?」
「そうだね」
 飲み終えてしまった、ココアとコーヒーを補充しサンドイッチを追加してから、続けて第二部をスタートさせた。終盤の緊迫した息を飲むシーンに釘付けになりながらも、セルフィは酷い眠気に襲われた。エンディングのスタッフロールが流れる頃には、すっかり眠りの中へと旅立っていた。映画の世界にすっかり引き込まれていた、アーヴァインはエンドロールが終わって隣を見るまで、セルフィが眠ってしまった事に気が付かなかった。
『セフィ眠っちゃったのか、やっぱり寝顔も可愛い』
 などと相変わらず砂糖漬けの頭でも、セルフィが楽に眠れるよう、そっと横たえさせブランケットを掛ける事は忘れなかった。セルフィが起きるまで、自分は夕食の準備をして待つことにした。本当は一緒に作ろうと思っていたけれど、生憎と彼女は眠り姫となってしまった、王子として目覚めのキスをする事を楽しみとして、エプロンを着け腕まくりをした。

「う〜ん、セフィまだ起きないのかな〜」
 もう夕食の準備は終わってしまった。あれから2時間程経ったけれど、セルフィは一向に起きる気配がない。キスをして起こそうかとも思ったが、今はまだそのままにしておこうと思った。
「夕食も出来たし、シャワーでも浴びるかな。それでもまだ寝てたら今度こそキスして起こすよ」
 セルフィの耳元に囁いて、アーヴァインはバスルームに向かった。

「う…ん」
 アーヴァインの優しい呼び声が聞こえたような気がして、セルフィは目が覚めた。ゆっくりと瞼を開くと、知っている天井がぼんやりと見えた。頭を上げようとしたら激しく視界が揺れた、喉も酷く渇いている、背中はぐっしょりとする程汗をかいているようだった。
「あう〜、身体がダルイ」
 とにかく喉の渇きを何とかしたかった。フラフラとする身体を引き摺りテーブルや棚にもたれながら、水を求めてキッチンへ向かった。


「ふぅーー」
 湯気を纏いシャワーの雫を滴らせながら、アーヴァインは浴室のドアを開けた。
「キスして起こしたら、セフィどんな反応するかな。怒るかな、笑ってくれるかな」
 曇った鏡を手でキュッと撫で、ごしごしとタオルで頭を拭きながら、アーヴァインはわくわくとそんな事を考えていた。
 カチャとドアの開く音がした。
 自分が出て来た浴室のドアでは無く、居間へと続くドアが開いたような音に、何となくそちらの方へ振り向く。
「せ、セフィーーーー!!」
 視線の先にセルフィが立っていた。
 驚いた、もの凄く驚いた。驚きのあまり両手で胸を隠す位アーヴァインは驚いた。今自分はすっぽんぽんなのだから、さあ大変。あまりにも予想外の事に頭も身体もコチーンと石化してしまった。その数瞬後、セルフィがゆっくりとその場に倒れた。
『倒れたいのは僕の方〜、てか倒れる位の僕の身体ってーーー』
 と心の中で叫んだものの、そんな事よりセルフィだと慌てて駆け寄る。
 傍まで来て平常じゃないのが分かった。顔は赤く呼吸も荒い、額に触ると熱い。セルフィは酷く熱を発していた。ゆっくりと、でも心の中では急いで、セルフィを抱きかかえてベッドへと運ぶ。自分がすっぽんぽんなことは、それこそ頭からスポーンと抜けていた。
「うわー、熱出てるよ、どうしよう」
 ベッドには運んだものの、軽くパニックに陥る。ピピッと検温終了の合図が鳴り、体温計を見てみると示した数値は38.6度。取り敢えず、キスティスに相談してみる事を思いついた。ついでに裸である事も思いだした。

「で、何か熱が出た事に思い当たる節は?」
 慌てているアーヴァインにとっては、冷たいとも思える口調でキスティスは言った。
「あ、そう言えば、昨夜窓を開けっ放しで寝ちゃったって」
「それね、多分風邪の熱じゃないかしら」
 流石キスティス。冷静な状況判断から導き出される答えには何時も説得力がある、彼女に相談して良かったとアーヴァインは思った。
「キスティ悪いんだけど、セフィを部屋に運ぶの手伝ってくれないかな」
「どうして?」
「どうしてって、マズいでしょ僕の部屋で寝かせとくのって」
「いいんじゃないの、貴方の彼女なんだし」
「ええーーっ?! 良くないってー」
 そんな大雑把で良いはずないだろーと、アーヴァインは反論した。
「まさか、病人を一人で寝かせておく気なの?」
「そんなつもりじゃないよ! ちゃんと誰かに看病を頼むつもりだよ」
「あなた、明日の予定は?」
「オフで特に予定はないけど」
「じゃ、決まりね。あなたがしっかり看病してあげなさい」
 アーヴァインに口を挟む隙を与えず会話は強制終了した。確かにセルフィは僕の彼女だけど、男子寮で女の子を看病って、それはいくらなんでもマズいでしょー、と頭を抱えて唸った。
「あ、医務室、カドワキ先生!」
 漸く、ガーデンには医務室というものがあり、校医のカドワキ先生という頼もしい存在がいる事を思い出した。

「どうしたんだい?」
 電話越しに、いつもの肝っ玉かあさん風の口調と声が聞こえた。アーヴァインはキスティスに言った事と同じ事を告げた。
「診てみないと断言は出来ないけど、多分風邪だね」
「分かりました、じゃあそちらに今からおぶって行きます」
「その必要はないよ、丁度寮へ行く用事があるから、部屋のナンバーを教えて」
 そう言われて、アーヴァインは素直に従いカドワキを待った。

「うん、風邪だね。食欲もあったようだし、あまり酷くはならないと思うよ。一応解熱剤をおいとくから、後で飲ませてあげるように」
「ありがとうございます、先生。すみませんが、彼女を部屋まで運ぶのを手伝って貰えませんか?」
 その後、リノアに連絡をして、彼女がだめなら誰か他の女友達に看病をお願いしようとアーヴァインは思っていた。
「ここでおまえさんが看てあげたら?」
「いや、だから、ここは男子寮ですから、それはちょっと……」
 どうして皆同じ事を言うのか、そんな事があの風紀委員にバレでもしたらどうなるか、考えるだけでおそろしい。
「おまえさんの彼女なんだろ?」
「はあ、まあ…そうです」
 どうにも劣勢な感じがして、つい言葉が濁る。
「じゃ、何も問題ないじゃないか、風紀委員には私から言っとくよ」
「それだけは勘弁して下さい、後生ですから内緒でお願いします」
 もう、勝てる見込みはないと悟った、ならせめて風気委員に知られる事だけは避けたかった。あのサイファーの事だ、バレたら罰という名のどんな嫌がらせが待っているか……。
 カドワキは診察に使った器具をさっさと鞄に仕舞うと、外へと通じるドアに向かった。ドアを開ける寸前で「言い忘れてた」とアーヴァインの方へ振り返る。
「汗をかいているから、着替えさせておやり」
「でも、それはちょっと〜、無理な感じが…」
「これ貸してあげるから、そんな恥ずかしがらなくても、彼女なんだから、ねぇ」
 と、妙に“彼女”の部分を強調して含みのある笑みを残し、アーヴァインに何かを手渡すと、カドワキは部屋を出ていった。
「あ、なるほど……」
 手渡されたのはアイマスクだった。確かにこれなら、着替えさせる時セルフィの肌身を見てしまう事はないか。って、先生いくら彼女だつってもセフィの身体なんて見たくてもまだ見た事ないですよ! と、既にここには居ない人物に向かって、虚しい突っ込みを試みた。



 眠っているセルフィに解熱剤を飲ませるため、語りかけるように話しかける。少し覚醒した所に、自分の腕で彼女の頭を支えるようにして錠剤と水を口に含ませる。ゆっくりと飲み込んだのを確認して、そうっとまた横たえた。
 その時、カドワキ先生が言った通り汗で着衣が湿っているのが分かった。このままでは下がる熱も下がらない。アーヴァインは意を決して、タオルと柔らかめのコットンのシャツとズボンを用意し、アイマスクを着けて、セルフィの着替えに挑んだ。

『はうっ、何て柔らか!』
 初めて触れるセルフィの肌に感動を覚えながらも、その尋常ではない熱さに我に返る。濡れた衣服を脱がせて(流石に下着はそのままで)、タオルで身体を拭き、冷えないように出来るだけ素早く新しい服を着せつけた。
「これで熱が下がってくれるといいんだけど」
 濡れた服を洗濯機に入れ、冷めてしまった夕食を温める気にもなれず、一人の食事がこんなに味気ないものかと思いながら、無理矢理胃に流し込んだ。
 セルフィの様子を見に再びベッドルームに戻り体温を計ってみる。37.6度、少し下がったようだった。息もあまり平常と変わらなくなっている、その様子に少し安堵した。
 隣の部屋からベッド脇に椅子を持ってきて、今日はここで寝る事にしよう。彼女の傍で、彼女の手を握って。




「う…ん」
 朝の光がブラインドの隙間から入って来る、その眩しさに慣れてからゆっくりと目を開ける。いつもの朝、だと思った、その人を見るまでは。自分が寝ているベッドの端に、頭と僅かに上半身を乗せて眠っている人がいる。
「あれ? アービン、何で? てか、ここアービンの部屋……」
 そうだった、昨日映画を観ていて寝てしまい、目を覚ますととても身体がだるかった。水を探しにキッチンに向かった所で記憶が途切れている。
 そして今、自分はアーヴァインのベッドの上、しかもよく見ると着衣が違う。
「そうか、あたし熱出しちゃったんだ。これってアービンの服……だよね」
 昨日の自分の状態とこの状況。自分の手よりも遙かに長い袖を眺めながらセルフィはそう思った。そして、アーヴァインはずっと傍に居てくれたんだ、そう思うととても嬉しくて、手をぐっと伸ばして、繊細な織り糸のようにシーツの上に流れるアーヴァインの髪に触れた。男の人にしては柔らかくて触り心地が良い。ふと、アーヴァインの直ぐ傍に置いてある、アイマスクが目に入った。眠る為に使ったのではなさそうなので、多分着替えの時に使ったのかなと思い至った。
『別に見られても良かったのに、アービンになら……』
 整った美しいとも言える、その滅多に見ることの出来ない寝顔をセルフィは、しばし眺めた。そして思う。どこまで優しいのだろうこの人は。その優しさが愛おしくて堪らない。ふわりと温かい想いがゆっくりとセルフィの身体に広がっていった。
 ひとしきりアーヴァインの寝顔を堪能した後、セルフィは静にベッドから降りた。が、一歩踏み出した途端、前につんのめって倒れそうになった。長かったのはシャツだけでは無く、ズボンもまたセルフィには長すぎた。まるでお父さんの服を着たちっちゃい女の子だと思いながら、腕とズボンの裾を丁度良い所まで折り返した。
 アーヴァインを起こさないよう、そっとベッドルームを出ると、セルフィはキッチンに向かった。朝のコーヒーを、彼の為にと。
 良い香りを立ち昇らせるカップをテーブルに置いて、アーヴァインを起こす為再びベッドルームに向かう。顔を覗き込んでみたが、まだ全然起きる気配はなかった。
「起きて、アーヴァイン姫」
 眠り姫を目覚めさせる王子のように、頬にそっと口付ける。声にならない位小さく何かを言って、アーヴァインの瞼がゆっくりと開いた。アーヴァインの澄んだ夏空のような瞳に飛び込んだのは、朝の光の中自分に微笑みかける愛しい少女の貌だった。
「おはよう、セフィ。身体大丈夫? しんどくない?」
「うん、もうすっかり元気だよ。ありがとね、アービン」
「良かったー」
 言うが早いか、アーヴァインはセルフィを引き寄せ抱きしめた。そしてちょっと長めのキス。
「あ、良い香り」
「そだ、コーヒー淹れたんだった」
「セフィが? 僕の為に?」
「うん、ま、そゆこと」
 聞くなり、アーヴァインはセルフィの手を引っ張って隣の部屋へと急いだ。
「ん〜 美味しい」
「ホントに?」
「本当に!」
 アーヴァインは満面の笑みでそう言うけれど、彼はセルフィの作ったものなら何でも「美味しい」と言いかねないのであまり参考にはならない。コーヒーは少し苦手なのでカフォオレにして飲みながらセルフィは思った。
「あ〜、今日は午後から任務か〜」
「今回はどこ?」
「バラムで護衛、明日一杯の予定」
「そっかー、僕は明日から3日間、ガルバディア」
「また暫く会えないね」
「セフィ、メールしてね」
 テーブルにでろ〜んと身体を投げ出して、上目遣いにアーヴァインが言った。
「憶えてたらね」
 そんな事思ってもいないけど、つい意地悪したくなってそう言ってしまうのが自分の常。
「ひどいよセフィ」
 そう言って彼が項垂れるのもいつもの事。
「そろそろ着替えて部屋に戻るね」
 ソファにきちんと畳んで置いてあった自分の服を持ってセルフィは立ち上がった。
「え〜、もう」
 不満の声。それを壁の向こうに聞きながら、セルフィはてきぱきと着替える。
「あ、そうだ、あたしが持ってきた布バッグ、ここに置かせて貰いたいんだけどいい?」
「いいよ〜、何が入ってんの?」
「な・い・しょ〜」
「む〜」
 セルフィがベッドルームから顔だけ出して答えるとアーヴァインは、不満げな顔をしてはいたけれど、それ以上何も言いはしなかった。
「じゃっ、またメールするね」
「うん」
 名残惜しそうなアーヴァインにキスをして、セルフィは彼の部屋を後にした。

 セルフィが置いて行った布バッグの中身を、アーヴァインが知るのはまだ少し先の話。


セルフィの稽古着は中国武術系(可愛いから)で、アーヴァインの稽古着は柔道着(はだけるから)だと萌えるなぁ〜。アーはきっと良い嫁さんになるねっ☆彡
(2007.07.12)

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